いつもブログを読んで頂きありがとうございます。皆さんにお願いがあります。福島県内の近隣の現地にいらっしゃる方。特に福島第一原発に過去、現在、かかわりのある方のお話をもっと直接伺いたく思っております。メールに連絡先を書いて、いただけませんでしょうか。もっと、本当の状況を伝えていくことで、何か少しでも変えられないかと思っています。取材ソースの守秘は厳守いたしますので、よろしくお願いします。
さて、福島県内から下記のメールが届きました。文中の団体は、僕は直接は存じ上げていませんので、その活動について直接、支援をしているという観点ではありませんが、子どもどうやったら守れるのかと言う話は、福島県内では急務と言うのが僕の認識です。子どもが年間で二十ミリシーベルトを浴びる可能性のある環境に置いておくことは、僕にはありえない話です。まして、子どもは年間十ミリシーベルにという原子力安全委員会の委員の発言も事実上ひっこまされるのが、今の政府のやり方であるのは、僕には本当に許せないです。まずメールをご覧下さい。
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正直地元で細々とやっていたのでは時間的にも間に合わないのでは?と思います。
木下さんのようなジャーナリストの方のお力をぜひお貸しいただけないでしょうか?
いきなりのメールで不躾なお願いをしまして、大変申しわけありません。
どうかよろしくお願いします。
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避難したくても避難出来ないという中に、政府が安全だと言い張るために、社会的に突破できない人がいるという現実がメールからもはっきりわかります。一定程度危険が有るので、子どもたちを逃がしたほうがよいというのなら、まだ理解はできますが、現在の状態では、相当な突破力がないと、逃げる選択肢をとれない現実があるのだろうとも思います。それでも大人なら個人判断で済みますが、子どもはそうはいきません。数年後に甲状腺がんが子どもに多発した場合、政府は責任を負えるのかということです。負えないのなら、子どもを現地で留めることにしようとする意図がわかりません。というかどこまで思考停止すれば、今の政府も官僚も気が済むのでしょうか。子どもの命を、健康を守ることよりも、政府が優先させるべき事柄は、ほとんどないと思います。全体を動かすことが難しい中で、取れる選択肢を取るというのが、普通の思考スタイルと僕は思います。
そうした場合、戦前にあった話ですが、「学童疎開」ということさえ、確かに現実味を帯びてくる選択肢であると思います。社会全体を大きく動かす判断ができないのなら、せめて学童だけでも地域を動かすことで、被害を最小限に食い止められるのではというのは、普通の感覚と思います。今回、大本営というワードをこのブログで何回か使った気がしますが、それでもまだ戦前は、子どもの命を守るために、都市部から田舎へ学童疎開させました。よく考えるとまだ現実の危機を認識していたのかも知れません(目に見える空襲と目に見えない放射能の違いはあれ)。戦争と言う時代の中では、隠蔽もありましたが、シビアな状況は認識していましたし、最低限の措置は講じていました。今の問題は、そこさえできているのかどうかと言うことです。目を瞑れば、何事もなく過ぎていくのなら、僕も目を瞑りたいのですが、きょうのいろんな情勢を見ていてもそんな感じはまるでしないです。この状態の中で、福島の子どもたちを放置しておくことは、政府のみならず、僕ら一人一人の判断ミスが原因であるとも言えるのです。このことは大きな話です。
僕は先週、国立大学の核物理関係のある教授から、福島県内の学校の土壌の放射能調査について、いくつかの懸念を伺いました。とにかく、色々とはじめてみたそうなのですが、バックグラウンドの放射線量が高すぎて、校庭の土壌の正確な数値が現場で測れなくて、一端採集した土壌を持ち帰って測りなおそうとしていると言うことです。彼は、相当危機感を抱いていて、特に梅雨時になる前の、ここ数週間のうちに、校庭の土にある放射性物質を測って正確な状態を専門家として認識しておきたいと言うことです。この分野の、関西や中部の専門家集団は相当な危機感と緊迫感でこの作業を継続しているとも聞きました。彼らは科学者として、状況を正確につかんでおかないと大変にまずいという認識で行動されています。元来、核物理実験の系統の人々は、基礎研究に取り組んできていて,原子炉や原子力とはこれまで疎遠であったということは常識です。研究の中核的なところでは、関連性はあるが、現実に全く原発に関係していない専門家でさえ、この状況に関わっていかないとどうにもならないという認識であるということです。梅雨になると日常的に雨が降り、現在の状態に大きな変化がなくても、福島県内の被曝量や内部被曝の危険性は高まるだけだと僕は思います。専門家の皆さんも、その前に何とかデータをはっきりさせて、必要な対応策を取らせたいと念願されているのだろうと思います。
さて、東京電力が出してきた、工程表について、原子力安全委員会の委員長の見解が報じられています。
東電工程表、実施に相当の困難と班目委員長(読売新聞) - goo ニュース
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2011年4月18日(月)20:19
内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長は18日、東京電力が発表した事故収束への工程表について「相当のバリアがある」と述べ、実施には困難が伴うとの認識を示した。
また「工程表の精査はできていないが、スケジュールありきで安全がおろそかになることは避けてほしい」と語った。
班目委員長は「一番難しいのは2号機対策」とし、理由としてタービン建屋地下に高濃度の放射性物質を含む汚染水があることを挙げた。フランスから導入予定の浄化処理技術についても「本当に(高濃度の汚染水に)使えるのか、安全委員会側として承知していない」と効果に未知数の部分が多いことを挙げた。
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政府側の専門家委員会のトップによる、相当ネガティブな認識は傾聴に値します。というか、推進側であれ、反対側であれ、一定程度原子炉ということについて、きちんとした学問的な背景があり、中身を十分に理解できる人にとっては、状況の認識に本質的な差異はないと言うことだと思います。こうした言葉をきちんとつないでいけば、原発の事態の状況が、正確にわかるはずなのです。1号機の原子炉建屋内部で毎時270ミリという高い線量が測定されている状況や、4号機原子炉建屋の地下で放射能に汚染された水が五メートルまでたまっていることなど(当初二十センチの発表、その後訂正)、公になっているだけでも、新たなハードルは、毎日毎日登場します。もちろん、福島県内をのぞけば、都内などではモニタリングポストの線量が平常値の範囲内に戻り、このまま推移してくれればという希望も持てなくはないとは、僕も思います。しかし、危険はとても去ってはいませんし、東京電力の工程表が官邸への言い訳ペーパー以上のものだと、僕には言い切れはしないのです。
そして、作業員の線量を100ミリ→250ミリ→更なるアップという流れまで言われ始めています。作業員も現場の東京電力の社員も人間です。やらせると言っても、できることには限界があります。人間が人間に一体どこまでやらせるのか。共産主義国家でも、全体主義国家でも、独裁国家でも、日本はありません。兵站という事が、僕は何度も書いていますが、ほんとにぎりぎりです。ある意味、現場での「緩慢なる死の強要」というレベルがこの先には、ありえます。このことも認識していただければと思います。解は本当に少なくなっています。