「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

日本と世界のリアル状況確認と僕の思索を書き留めるブログ。
重要なことはメルマガで展開していますので、ご購読下さい。

人は人の生死に、どこまで関わるべきなのか。

2011-12-20 03:34:32 | 福島第一原発と放射能

自分の父親が亡くなる前に、癌の治療方針について、散々父親と話した事があります。

癌の状態は七年続いていて、そこまでもよくもったと思っていたのですが、ある事で悪化していました。

病院の対応も遅れていました。

まず、その二年前にもその病院の対応が遅れて、黄疸が出始めた事があり、緊急入院。

今度はダメかと思いながら、有名大学病院の待合室で豆乳を飲んでいました。

そこにインターンらしき学生たちが、四、五人。楽しそうに話していて、僕は後ろで考えながら座っていました。

「おそいじゃん」

「今日入院の患者さんが。大変でさあ。」

「どう大変なの?」

「まっ黄っ黄なんだよ」

「黄色なの?」

「顔が黄色、肝臓の癌でさあ」

「まっ黄っ黄。まっ黄っ黄」(一同大笑い)

彼らが話しているのは先程入院した父親の事です。私は腹が立って彼らの顔を睨みつけようかと思いましたが、それよりも思い直して、

彼らの名札を覚えました。

その夜。担当の教授の自宅に電話。事の顛末を話し、父の事をお宅のインターン達は笑い物にする教育をしているのかと詰め寄りました。

「そんなはずはない」と言う教授。「許さない」と僕は念押ししました。

次の日から、父親の診療体制がこれまでと変わって緊張した感じが伝わって来たと後から聞きました。

「危ないかも」と言われた父親は、難しい手術も成功し、生還しました。多分、僕があの光景を目撃して、反応していなければ、それで死んでいたと思います。良くも悪くも、僕がそこで、発言した事で二年間はながらえました。

そして、その二年後は、余命半年の選択。どうやら、病院の体制が不備があり、その半年前の検査で相互確認がなされず、状況が半年放置され、余命宣告になったようです。僕は、父親が従来行っていた癌治療のスキームも手法としては評価していましたが、このスキームの限界がきたと考えました。そこで別の治療法に切り替えたら転機があるかもと考えました。そこで、またその教授と問答です。「余命半年ですよね。」「ええ」「それは、そちらの治療方法は」「やれることがほとんどないですね。」「すいません。A医師のこの方法を試したいですが、可能性は?」「A先生、あっそれは、また違います。まあ大変ですが、私の知り合いもそこに通っていましてね。状況が変わる時もかんがえられますね。そこならわかります。」「だとしら、転院させても構いませんか」「あっ、お付き合いが」「直接、存じています」「としたら、試してみると良いと思います。確かに可能性は高まりますから。」

僕は延命可能性があるとみて、父親を説得しました。しかし、父はなかなか応じません。これまでの診察体制、診療なら受け入れられるのですが、これまでと変えるのが嫌なのです。そう言い張りました。そのまま、田舎の徳島に帰り、容態が微妙な状況になってきました。

徳島でも地元で入院。水も溜まり始めます。説得して説得して、一度はその病院に転院を応諾しました。しかし、移送前日の夜、どうしても嫌だと言い張ったそうです。「死ぬのは仕方ない」とも。

僕は何回も何回も考えましたが、死ぬ、生きるは、大人は大人本人の選択。子供とはいえ、父親の選択に関わるべきではないかもと。

父はその流れで亡くなりました。

恐らく転院して治療していれば、その新しい環境が大変で、治療も辛い事も多かったと思いますが、さらに三年程度は延命したと思っています。七十代前半で亡くなっているし、がん発症後七年生存、さらにがん発症前に自分の病気の情報を家族、少なくとも僕と共有して、医療的な処置をしていれば、治療に負担はあっても、発症も遅らせられたと理解しています。

僕は最後は生死の関与をあきらめたのですが、やはり関与すべきだったと考えています。当初の病気の段階で関与していれば色んな形で、先に癌の発症を防ぐ事ができたのではないか。また、余命宣告後の、関与は、父が何を言おうと聞かずにやるべきだったのではとも。

人の生死にどこまで関わるべきなのか。これは、難しい問題です。それでも、僕はこういった経験を考えながら、関わりたい相手には関わるしかないと思っています。それが、僕の立場です。極めて限定した人には(ほとんどいません)、リアルに関わります。

今回の放射能被害についての僕の考えは、そうした思考に基づくところも多いと思っています。

これは、「避難」ということを僕が提唱している事にも繋がっています。「避難」することによって繋がる命がある。そうだとしたら、「避難」という選択肢から人は逃げてはいけない。環境の変化は怖いけれども、命の変化はもっと怖い。「避難」を呼び掛ける事が、一年が経つまでは、少なくとも第一選択肢となります。

防げる事をどこまで防げるのか。僕はどこまで闘えるのか。この闘いは、政治的かつ社会的な様相を帯びながら、力強い形で展開して行かなければならないと思います。このためには、僕はいかなる相手とも立ち向かう決意をせねばなりません。その妨害者達は、どうにかして駆逐せねばなりません。

 

 

 

そう確信をもつ僕からすると、あなたの命に関わる事は、僕の人生で最も大切な事になります。

「自分が放射能でやられても、それは自分の選択であって、木下さんが自分を責めるのは論理的におかしい。どうなっても自分。言われている事は広い意味でのデータとして聞いている。自分のことは自分で選択」

違います。僕は父親を見ていても良く分かります。人間は、自分がまずい状態に置かれている時に、正常な判断は出来ません。被曝地で、世田谷の自宅の土壌が500Bq/kg以上汚染されていて、室内の埃は1500Bq/kgになっています。その環境でいた場合、健康被害がでないと信じる方がおかしい。リスクと言う事を考えると自分の健康や命よりも大切なものは、ありません。あなたが積み重ねたものは、命よりも重いものはない。何もない。僕はあなたの命にコミットメントすると考えている。それが不首尾に終わった時には、自分を責めるしかない。どこまで関われるかしか、僕には方法はない。僕にはあなたそのもの、あなたの命より大切なものなど何一つない。付随物は全て必要ない。くだらない。

データを与える事は大切ではない。大切なのは、与えたデータで考える事。聞くだけじゃない、見るだけじゃない、考える事。

「情報はみている。ブログもみている。でも、粉ミルクの感覚を共有しないと言われても困る。まわりで、ばたばた倒れたら、それはいくらなんでも考えるけど」

周りでばたばた倒れたら、手遅れなんです。被曝を考えない人々の共通感覚にはまっていくと、言い訳だけを、あなたは探し始めている。無意識に。この無意識の言い訳が、あなたを手遅れにする。放射性物質をなめてはいけない。取材にきた大手通信社の記者も、放射性物質のことをあきらかになめていた。なまじ知識のある立場のマスコミ人や専門家ほど、放射性物質をなめはじめる。こんな危険な微粒子に人は勝てない。こんな当たり前の事から目をそらそうとする。逃げるな。逃げても、何の担保もない。粉ミルクのことは、当たり前の話。当たり前の人が、当たり前に思う事を、「政府の基準批判の問題」と図式化して処理している感覚が、リアルを見たくなくなっている、あなたの意識の証左にすぎない。追いつめられるのは自分。それから、逃げている。決断しない事は何もならない。何にも。僕は言い続ける。関わり続ける。

この問題で、あなたに避難をして欲しいと思う事と、僕は父親の命の流れに噛みこんで行った事は、本質的に同じ事だと確信している。

人は人の生死にどこまで関わるべきなのか。命と言い換えても良いと思う。僕にも答えはもちろんない。もちろんないけれども、大切なあなたの命を守る為ならば、僕は僕の命に換えても、守らなければならないところまでいくのかもしれない。ぎりぎりの事を積み重ねないと、大きな事柄の流れは一切おきてこない。あなたがあなたの命を守ろうとすると、本質的に皆が皆、自分の命を守ろうとする。それをする者と阻む者のせめぎ合いにすぎない。あなたは、どちらにつくのか。あなたは、どちらの者なのか。僕はこちらに来るべきだと思う。何としても。

「流れができたら、巻き込まれたらそうするかもしれないけれども。でも考えられない。」

僕の父親が、生死の狭間に立たされた時に、一度は僕がコミットメントして、事態は好転しました。二度目は、環境を変えることに父親が抵抗し、僕が父の生をあきらめたことで、事態は終焉しました。流れができて、巻き込まれる事態にならないと考える思考は、身近な生活スタイルと関係に取り込まれていて、あなたが変化を怖れているから。七十を過ぎた年寄りが、死よりも変化を怖れる事を、受容した事すら、僕は後悔している。しかも、あなたは三十代。生や命が大切で、環境の変化を怖れ始めている様子が奇妙。ある種の保守的な立場から、自分を変えていく志向がもともとあったのに、どうしてこういうスタイルで放棄したがるのか。それが、あなたが元来、志していた事なのか。何とも言えない雰囲気に取り込まれる事に抗する術がなければ、最後は独力ではどうする事も出来なくなる。僕は状況が分かっている。助ける事も出来る。あなたが大切なのだ。だから、どうしても助けたい。それしかない。

自分で自分をごまかすな。

自分の人生を、自分のちゃんとした幸せを、本当に他者があなたに関わる可能性を、諦めないでほしいと思う。

 

僕は何があっても諦めない。

=====================================================

本日です。緊急講演会『木下黄太 in  静岡・島田』   

      ~放射能とガレキ問題を考えます~
12月20日(火)  午後6時開始 (5時45分開場)
                  静岡県島田市地域交流センター ぽぽろ 託児室あり
                  参加費五百円
                  座席確保のため、予約を! rpshimada@gmail.com
 
当初週明けの月曜開催予定が、火曜に変更になりました。ご注意ください。
島田市のガレキ受け入れ表明について、静岡県民の方たちから緊急要請されて、急遽開催いたします。
================================================
12/21(水)  17時開始予定 大阪 「討論Barシチズン」でトークイベント。
 
放射能被害とガレキ問題について話します。
   
入場料:1,000円(フリードリンク)

討論Barシチズン:大阪市浪速区日本橋5丁目14-20
(地下鉄堺筋線「恵美須町駅」1-B 出口より徒歩2、3分)
TEL.06-6537-7672


================================================

クリスマスも話を致します。江東区は都内でも汚染の厳しいエリアです。

「12/25  木下黄太講演会in江東区豊洲-福島第一原発事故後の今」

日時 12月25日(日)
開場  9時30分 
開演 10時~12時(質疑応答含む)
場所 江東区 豊洲文化センター B1レクホール 定員150名
地下鉄有楽町線豊洲駅
東京臨海新交通ゆりかもめ豊洲駅 
徒歩一分

豊洲文化センター専用の駐車場はありません。
近くにある「スーパービバホー厶豊洲店」、「ららぽーと豊洲」の駐車場がご利用できますが、なるべく電車でお越しになることをお勧めします。

参加費:500円
※託児はご用意できませんが、お子様連れでの参加もお待ちしております。
お子様連れで予約をする場合は、何席必要かを書いて下さい。
一席ごとに参加費は必要になります。
よろしくお願いします。

主催:江東区辰巳「放射能と生活を考える会」
寒河江(さがえ)

ご予約(お名前、住所、電話番号、参加人数を記入)、お問い合わせはメールにてお願いします
hskk2011@yahoo.co.jp

当日、スタッフが不足しておりますので、9時からの椅子出しをお手伝いしてくださる方がいらっしゃれば、ぜひご協力お願いします。