俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

会社主義

2010-03-02 16:26:26 | Weblog
 人間は群居動物だから社会を求める。社会に貢献することを通じて自分に価値を見出す。しかし小さな村に住んでいる人ならともかく、都会に住む人には「社会」が見えにくい。駅ですれ違う無数の赤の他人は同じ社会の人間とは到底感じられない。
 そのため身近で濃厚な関係を自分にとっての「社会」と見なすようになる。その典型が会社主義だろう。会社が擬似社会となる。会社に対する貢献こそ社会に対する貢献と信じて滅私奉公に励む。会社に貢献して会社から必要とされることが社会との有機的な繋がりになると信じて「社蓄」になる。
 しかし会社は所詮利潤を追求するための組織に過ぎない。彼が理想として思い描いた共同体とは懸け離れたものだ。会社は利潤追求のためなら首切りも厭わない。会社に「片思い」し続けた人は、会社からの残酷な処遇に絶望する。会社=社会と思い誤った人は会社から否定された自分は無価値な人間であるとさえ思い込む。これは二重の錯乱だ。会社=社会ではないし、人は会社から個人の価値を付与されている訳でもない。

ルール作り

2010-03-02 16:08:59 | Weblog
 スポーツにルールは欠かせない。しかしそのルールはかなり恣意的に変更される。
 かつて日本はノルディック複合を得意とした。ジャンプで稼いでノルディックで逃げ切るという戦略だった。ノルディックの得意な選手が多いヨーロッパ各国の意向でジャンプの評価が下げられた結果、日本のお家芸ではなくなった。
 スキーのジャンプそのものもルールが変更された。体の小さい選手は小さなスキー板を使わねばならなくなった。勿論これは小柄な選手が多い日本人を狙い撃ちにしたものだった。
 Judoもルール変更のたびに柔道とは懸け離れたものになって行く。
 フィギュアの基礎点にも恣意的なものを感じる。浅田選手にしか跳べないトリプルアクセルの基礎点は不当に低く設定されている。特にコンビネーションジャンプは酷い。浅田選手にしかできない3回転半+2回転の基礎点は9.5点で、金ヨナ選手の3+3回転は10.0点だ。要するに、世界で唯一人しかその技をできる選手がいないのなら、その技の基礎点を低くしてしまえば他の総ての選手が有利になる。欧米人はこんな不正とも思えることを平気でやる。
 欧米に多数決で押し切られることも多いだろうが、日本人はもっとルール作りに積極的に取り組むべきだ。日本人は今でもルールはお上から与えられるものだと思っているようだが、欧米人はどうすれば自国に有利になるかという視点も含めてルール改訂を主張する。欧米人と日本人はルールに関する意識が全然違う。これはスポーツに限らず、あらゆる国際間の競争において不利を招く。
 

0.02秒差

2010-03-02 15:53:38 | Weblog
 女子スケートの団体パシュートでの銀メダルは快挙だったが・・・。
 2,400mを3分2秒84で走ったのだから秒速13.1m。0.02秒の差は距離にすれば約26㎝だ。ゴール前は直線コースでありラストスパートも考慮すれば30㎝ぐらいの差だろう。しかしもっと頭を使っていたらこの差は覆せたのではないかと思った。
 スタート地点で日本チームは縦一列に並んだ。一番後ろの選手は先頭から3mほど離れていた。テレビで見た限りでは、優勝したドイツ以外の総てのチームがこのフォーメーションでスタートしていた。
 ドイツだけが違っていた。3人が横に並んでいた。横一線ではなく微妙に前後にずらして奇妙な三角形を描いていた。一番後ろの選手は先頭から1mほどしか離れていなかった。
 賢いドイツ人はコンピュータと数学を駆使して、一番有利なスタートポジションを計算したのだろう。
 走行距離が2m違うことは無視できない。何しろ結果は30㎝の差だったのだから。2m違えば時間においても体力の消耗においても差が生じる。
 この種目は前回のトリノから採用されたので歴史が浅い。それだけに改善の余地が多い筈だ。スタートの位置取りに注目して金メダルを取ったドイツ人は賢い。0.02秒の差は知恵の違いが生んだものだろう。