俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

教育

2010-04-13 16:14:27 | Weblog
 教育に過大な期待をすべきではない。教育とは所詮、社会に適応できる人間を大量生産するシステムに過ぎない。社会に適応できない人間は周囲にとって迷惑なだけではなく本人にとっても不幸なことだ。
 他人の気持ちが分からない、じっとしていられない、約束を守れない、こんな人間として最低レベル以下の人間を作らないことが教育の本来の目的だ。
 現代の日本ではコンピュータ教育の必要性が説かれている。それはコンピュータを使えなければ仕事にならないからだ。もし日本人全員が農民だったら農業に役立たない教育など必要ない。それ以外のことはヘソ曲がりの人が勝手に勉強すれば良い。
 自己実現や世界に通用する才能を育てることなど教育の目標とすべきではない。そんなことを目標にすれば大半が失敗する。全員にイチロー選手や浅田真央選手になることを期待すべきではない。草野球のプレイヤーやスケートを滑れる人に育てれば充分だ。それ以上のことは各自が自分でやるべきことであり教育が目指すべきことではない。

体育

2010-04-13 16:03:14 | Weblog
 子供の運動能力の低下が続いている。テレビゲームや塾などのせいだと評論家は言うがそんな犯人探しはどうでも良い。対策を実施することが重要だ。
 子供の頃に基礎的な運動能力を身に付けなければ一生運動音痴になってしまう。運動音痴の人は運動をしたがらないから必然的に運動不足になる。
 運動能力の低下はモラルの低下よりも緊急の課題だ。モラルなら社会人になってからでも身に付けることができるが運動能力はそうではない。神経は小児期に育てなければ一生育たない。運動神経も小児期に育成しないと駄目になってしまう。子供のうちに体を動かさないと動けない大人になってしまう。足りないものを補うのが教育の使命なら、体育の授業時間を増やすことこそ最優先の課題だろう。
 徳育は難しい。教える側の教師がそれを実践していないケースも少なくない。教える能力が無い人が教えようとしても育成は期待できない。しかし体育なら教えることができる。分からなければ走らせたら良い。それだけでも体は育つ。スポーツを通じてルールを守ることの重要性も学べるから徳育にもなって一石二鳥だ。

動脈瘤

2010-04-13 15:47:49 | Weblog
 先日、巨人の木村拓也コーチが37歳の若さで、くも膜下出血で亡くなった。3年前には元競泳選手の木原光知子さんがやはりコーチ中に59歳で亡くなった。元気な人が突然亡くなるというショッキングな事件だけにこれをきっかけに脳ドックで検査を受ける人が増えるだろうが、くも膜下出血の原因となる動脈瘤が見つかった場合、困った判断を迫られることになる。日本人の約5%に動脈瘤が見つかるらしいが、これを手術するかどうかで悩まされることになる。
 大半を占める1cm未満の動脈瘤の場合、破裂する可能性は年に0.05%らしい。一方、手術した場合の死亡率は1%、重い後遺症が残るのは5%だそうだ。どう考えても手術しないほうが有利だ。
 医者としては動脈瘤が見つかったことを被験者に告知する義務がある。しかし1cm未満の動脈瘤なら手術せずに経過を見守るということになるようだ。
 結局、爆弾を抱えていることを知らされた上で、不安に慄きながら放置せざるを得なくなる。これでは検査をしないほうがマシだ。もし脳ドックで検査を受けるなら「1cm未満の動脈瘤が見つかっても告知しないこと」を予めお願いしておいたほうが良かろう。
 なお私は医者ではないので詳しくは脳外科医に尋ねることをお勧めする。