俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

痴漢対策

2010-04-16 15:58:22 | Weblog
 昨日(15日)、NHKの9時のニュースで痴漢対策が採り上げられていた。その中で紹介された、痴漢の手を摑んだら下へ引っ張るという対策は素晴らしいと思った。女性の力は弱い。痴漢の手を持ち上げようとすれば振り切られる可能性が高い。しかし下げる場合、捕まえた手に体重を掛ければ良い。かなりの力が働くので痴漢はよろける。犯人は一目瞭然だ。この素晴らしい対策をもっと広めて欲しい。
 ところでなぜ春には痴漢が増えるのだろうか。4つの理由が考えられる。
 ①男の性欲はなぜか春になると高まる。
 ②女性が薄着になる。
 ③新しい顔ぶれが揃うので新鮮。
 ④新入学・新入社の人が加わるので電車が混む。
 ①~③については如何ともし難い。対策が打てるとすれば④だけだろう。特に大学生は4月だけは朝から真面目に出席するのだから、4月さえ乗り切れば朝の混雑は緩和される。
 4月だけの臨時ダイヤを組むことは難しそうだが、朝の連結車両数を増やすことぐらいならできそうだ。あるいは男性専用車を導入してはどうだろうか。痴漢の冤罪を避けたい人は喜んで利用するだろう。まさかホモの溜り場になるということは無かろう。

出来損ない

2010-04-16 15:46:38 | Weblog
 道具は目的を持って作られる。従って目的に適わない物は出来損ないと評価される。傾いた机やブレーキの利かない自動車は欠陥品だ。
 自然物は目的を持たない。従って出来損ないの川とか虫とかいった概念は意味を持たない。どんな奇妙な形の山であろうと魚であろうと出来損ないではない。総て自然なモノだ。
 家畜の場合は違う。なぜなら所有者が何らかの目的を持っているからだ。卵を産まない雌鳥やガリガリに痩せた豚は出来損ないとして処分される。
 ペットの場合は微妙だ。異様に小さい犬とか白いカナリヤに対して多くの人は不満を持つ。しかしその一方で珍しさゆえに評価する人もいよう。
 では人間の場合は?仮に目的を持って生まれるなら出来損ないという概念が成立し得る。しかし一体誰が、どんな目的を持つのだろうか?宗教が崩壊した日本においては普遍的な目標など無いのだから出来損ないという言葉は意味を持たない筈だ。
 しかし親が何らかの目的を持つなら、親によって出来損ないと評価される子供はあり得る。但しこのように評価される子供は親の所有物であり家畜に近い位置付けになっているように思える。

自由と規則

2010-04-16 15:34:41 | Weblog
 自由と規則は対立する概念と捕らえられ勝ちだ。しかし規則が無ければ不自由を強いられることになる。
 車両の左側通行という規則を考えれば明白だ。もし左側通行という規則が無ければ道路は大混乱に陥る。渋滞を招くし事故も多発する。つまり左側通行という規則が守られないと安全に快適に運転するという「自由」が失われて却って不自由になる。
 自転車が歩道を我が物顔で走れば歩行者の自由は失われる。歩行者は正面から突っ込んで来る自転車を避け、後ろから追突して来る自転車に脅えながら歩かねばならなくなる。自転車が規則(道路交通法)を守らなければ歩行者の自由は奪われる。
 規則を自由の対立概念と考えるから「交通マナーを守りましょう」などといった変な標語が作られる。守るべきものはマナーではなく規則だ。「交通ルールを守れ」で良い。規則は自由と矛盾しない。それどころか自由のためには規則は不可欠だ。究極の自由放任状態である万人の万人に対する闘争といった弱肉強食の社会など誰も望みはしない。自由は規則を要する。最低限の規則が無ければ自由は失われる。