俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

噴火

2010-04-20 16:16:23 | Weblog
 アイスランドでの噴火でヨーロッパの空の便が大混乱しているが、被害が「この程度」で収まって欲しいと願っている。
 なぜなら大噴火は異常気象を招くからだ。
 1783年にアイスランドのラーキ山で大噴火があり、噴出した火山性エアロゾルの影響で北半球全域が記録的な冷夏になり広域で飢饉が発生した。日本でも天明の大飢饉となった。
 1833年のインドネシアのクラカトア火山の噴火は天保の大飢饉の原因となったと言われている。
 近年では1991年のフィリピンのピナツボ火山の噴火が挙げられる。1993年の日本での異常気象と米の不作はこの噴火が原因と思われる。
 地震と同様、噴火に対しても現代文明は無力だ。しかし噴火が招く異常気象には全く対応できない訳ではない。噴火から異常気象までには「時差」があるので対策を講じることができる。二宮尊徳は冷夏を予想して冷害に強いヒエやアワを植えさせることによって天保の大飢饉の被害を削減したと言われている。
 鎖国中だった尊徳の時代とは違って、現代では情報は瞬時に伝わる。火山性エアロゾルの噴出量を推定してその情報に基づいて対策を立てることができる。農業だけではなく観光業などでも可能だ。例えば「寒い夏には南の島へ」など。

死刑執行

2010-04-20 16:00:45 | Weblog
 19歳の時に連続射殺事件を起こした永山則夫死刑囚に対する処刑は凄惨だったらしい。
 当然のことだがこの件に関する公式記録は無い。死刑に立ち会った刑務官による手記も公表されていない。少なくとも私は読んでいない。従ってこれはあくまで伝聞でしかない。
 面会だ、と騙されて独房を出た永山は途中で面会所ではなく処刑場に向かっていることに気付き凄まじい抵抗をした。何しろ命懸けなのだから、まるで猛獣のように暴れたらしい。
 腕を捕まれても足と歯がある。吠える喚く噛み付く。文字道り「必死」なのだから火事場の馬鹿力を出して大立ち回りをする。武道の有段者の刑務官が総出でも抑えられない。しかし刑務官は死刑を執行せねばならない。それが仕事なのだから。
 その結果、どうなったか。おとなしくさせるしか無かった。つまり総出で殴る蹴る投げ飛ばすとあらゆる暴行を加えて失神させた。哀れ満身創痍の永山は意識喪失の状態で絞首台へと運ばれたそうだ。もしかしたら既に撲殺されていたかも知れない。
 多分これは特異な事例ではなかろう。死刑囚が従順に絞首台に向かうとは思えない。多くの死刑囚は必死で抵抗して袋叩きに会っているのだろう。これは残虐な刑罰ではないのだろうか。絞首刑だけではなく、予告無しの毒殺という安楽死も検討すべきだろう。

死後

2010-04-20 15:48:02 | Weblog
 古代ギリシャの哲学者エピクロスは「私が存在する間は死は存在せず、死が存在する時には私は存在しない。従って死は私の問題ではない。」と説いて死を恐れる必要はないと言ったが詭弁でしかない。死んだ後には確かに私はそこにはいないが、死ぬ瞬間まで私はそこにいる。
 死ぬのは生きている人だけだ。死んだ人にできることは死んだままでいることだけだ。従って死は生きている人の問題だ。
 退職ということを考えてみよう。退職できるのは就職している人だけだ。就職していない人は退職できない。従って退職は就職している人の問題だ。
 離婚についても同じことが言える。結婚している人だけが離婚できる。離婚について悩むのは結婚している人だけだ。
 死は個人の最後の行為だ。死ぬことでその個人は永遠に消滅する。しかし恐れる必要は無い。百年前の状態に戻るだけだ。死後とは自分の生まれる前と同じようなものだ。誰が自分の生まれる前のことを恐れるだろうか。
 個人だけではなく人類そのものも戦争か天変地異でいずれは絶滅する。人類が滅んだあとも宇宙は何事も無かったかのように存続する。百万年前に戻ったようなものだ。