俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

子供554人

2010-04-27 16:11:08 | Weblog
 先日、韓国人男性が554人分の子ども手当の支給を申請して却下された。これは法的には支給されるべきだろう。そんなザル法だからだ。
 「法外の法」とか「理外の理」などといった考え方は間違っている。法に適っているなら合法だ。
 例えば10人の子供を持つイラン人が日本に単身赴任したら10人分の子ども手当を払わねばならない。これは間違いなく適法だ。それなら子沢山の男を日本に送り込めば外貨が稼げると貧しい国が本気で考えてそれを国策としても不思議ではない。
 ギネスブックによれば、最も多くの子供を持った人はモロッコ最後の皇帝ムーレイ・イスマイルで888人だそうだ。こんな人が日本に住んだらどう対応するのだろうか。一夫多妻制を採るイスラム圏では日本では考えられないほど多くの子供を持つ人が実在する。
 なぜこんな変な制度にしたのだろうか。なぜ外国人にまで子ども手当を支給するのか理解できない。少なくとも日本での少子化対策になるとは考えられない。外国人参政権と外国人に対する子ども手当には裏の意図があるように思える。
 裏の意図は、554人分の子ども手当を申請した韓国人にもありそうだ。多分、本気で支給されるとは思っていないだろう。この制度の不合理性を暴露するためにわざとやって騒ぎを起こしたようにも思える。

知覚

2010-04-27 15:56:00 | Weblog
 自分自身は極めて分かりづらい。そもそも5感はどれも「外部」を認知するためのものであり、自分自身を知るためには不充分なものばかりだ。
 視覚・・・自分の鼻が見える人は少なくないだろうが、まつ毛が見える人はいない。勿論、鏡を使わずに自分の顔を見ることは不可能だし、鏡を使っても目を閉じている自分を見ることはできない。
 嗅覚・・・一番知覚できないのは自分の臭いだ。
 聴覚・・・自分の声は全然違ったものとして知覚される。録音しないことには自分の声を知ることはできない。
 味覚・・・自分の唾液の味を知っている人はいない。
 触覚・・・外部の力を知覚するだけであり、痛覚以外は自分のものではない。
 このように知覚は自分自身を知るためには不向きなものばかりだが、唯1つだけ例外がある。それは内省(内観)だ。
 内省は他者には不可能な、自分の意識に対する知覚だ。言葉にされたものは他者にも分かるが、言葉にされないものは自分にしか分からない。自分の本音は内省によってのみ捕らえられるし、それは当の本人にしか知り得ぬ唯一無二のものだ。他者でも知り得る現象界の事象と違って内省で得られるものは本人にしか分からない。芸術家の創作意欲は、創作しなければそれが永遠に失われるからだろう。
 不思議なことに哲学と仏教のみが内省を重視している。一神教では初めに神の教えがありそれを知れば充分だからだろうか。

二律背反

2010-04-27 15:39:53 | Weblog
 前原国土交通大臣が民主党(小沢グループ)の要求を「二律背反」と呼んだが、こんな大げさな言い方をして欲しくない。単に「矛盾」と言うべきだろう。
 二律背反については2008年12月16日付けの「思考の限界」で一度書いたが、私にとっては大いなる救済となる思想だった。と言うのは私は小学校の4年生の時以来「宇宙の果」について悩み一時期はノイローゼに近い状態になっていたからだ。
 次のようなことを考えていた。
 ①宇宙の果まで行ってもまだ1m進める筈。それなら数学的帰納法に基づき更に無限に進めるのではないか。
 ②空間は歪んでおり無限に進めば元の位置に戻って来る。
 ③平面に無数の直線が引けるように、宇宙は四次元なので三次元レベルでは無限になる。
 こんなことを考えながらも納得できず、大学で天文学か哲学を学べば分かるかも知れないと思っていた。
 そんな時に純粋理性批判に巡り会った。カントの結論を簡単に書けば「経験に基づいてしか思考できない人間の理性が、経験できない無限や永遠について思考しようとすれば必然的に矛盾に陥る」ということだった。
 たかが高速道路の割引料金と整備費の矛盾にこんな大層な言葉を使うべきではない。この程度の矛盾など「弁証法的に止揚」できる。高速道路を拡張しつつ値下げをすることぐらい自民党政権でもやっていたことなのだから。