俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

真田山プールの怪

2010-06-11 10:21:36 | Weblog
 私が夏に通う真田山プールは奇妙なプールだ。
 オープン当初はプールサイドでの飲食は禁止されていたし、今でもそう掲示されている。数年後には子供用プールの側で黙認され、更に数年後には大人用プールの側でも黙認されて、ルールは完全になし崩しにされた。
 当初、小学生は大人用プールには入れなかった。数年後には16歳以上の保護者が同伴すれば1人だけ許された。今では3人まで認められている。保護者1人でどうやって3人もの小学生の安全を確保できるのだろうか。事故が起こるまではなし崩しが続くのだろう。
 真田山プールの管理者はルールを守らせるということを諦めているようだ。クレームがあればこのようになし崩しにするか施設そのものを撤去することによって対応している。
 最初に撤去されたのはシャワー室のドアだ。プールがスケート場になる冬場にシャワー室で淫行があったからドアを撤去したと噂されている。次に撤去されたのは喫煙所で、その次には公衆電話が撤去された。なぜ撤去されたのかは知らない。
 20ヶ所ほどの屋外プールを知っているが、シャワー室にドアが無いのも、喫煙所が無いのも公衆電話が無いのも真田山プールだけだ。どんな人が何を考えて管理をしているのだろうか。
 こんな変なプールなど使わなければ良いと思うのだが大阪市内で唯一の屋外の50mプールなので渋々利用している。かつての扇町にあった大阪プールが懐かしい。

窃盗

2010-06-11 10:10:46 | Weblog
 窃盗の最大の原因は貧困だ。金が無いから盗む。もし金があれば盗む必要は無い。買えば済むことだ。
 しかし貧困が原因と分かっても対策が無い。貧困を無くすことは窃盗を無くすことよりも遥かに難しいからだ。そこで別の原因が求められる。万引きゲームとか外国人窃盗集団とかいった警察や市民が対応可能なことに注目させようとする。しかしこれらは本当の原因ではない。本当の原因はやはり貧困だ。
 対策の立てようの無い原因であろうとそれを無視すべきではない。たとえ今は対応が不可能であっても将来可能になるかも知れないし、刑期を終えた受刑者の処遇もそれによって変わるだろう。
 再犯率が高いのは受刑者の多くを前科者のホームレスとして社会に放り出すという無責任な制度のせいだろう。前科者のホームレスがまともな職を得ることは難しい。非合法活動に向かうのはある意味では当然だ。
 再犯率を高めているのは、受刑者本人の犯罪性向ではなく更正システムの不備によるのではないだろうか。

普遍的真理

2010-06-11 09:54:35 | Weblog
 普遍的真理など要らない。私を燃え上がらせる私のための思想が欲しい。2+3が5であろうと6であろうとどうでも良い。2+3=5を守るために命を懸けるつもりなど毛頭無い。そんな客観的真実よりも私という個人がどう生きるべきであるのかを知りたい。
 誰にとっても旨い料理などどうでも良い。私が食べたいのは私のとって最も旨い料理だ。普遍的美味などクソ食らえだ。
 誰もが共有できる知識など要らない。共有できるのは2+3=5のようなくだらない知識だけだ。そんなものではなく、決して共有されない、私独自の私を燃え立たせる欲求が欲しい。
 これまでは俗物として生きることを指針としていた。肉体は俗界に、精神は霊界に、ということが私の生き方だった。ところが中途退職して俗界から抜け出してしまったら行動指針が無くなってしまった。そのために「どう生きたい」のかが分からなくなってしまった。今、その思想に基づいて生きる実践哲学を私は求めている。
 ニーチェは「悦ばしき知識」に「人生は認識のための手段である」と書いているがこれは本末転倒だ。認識こそ人生のための手段だ。どう生きるかを選ぶための思想が必要だ。
 青臭い言葉だが「いかに生きるか」は人生の最大のテーマだ。若い頃は「そのうち見つかるさ」と呑気に構えていられたが、老いて死へと近づくほどにそれは差し迫った問題となる。「あしたのジョー」のように燃え尽きたいものだ。