俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

女の性欲

2010-06-22 11:36:41 | Weblog
 男は射精すれば果てる。続けてすることは20歳前後の一部の人にしか不可能なことだろう。満腹するのと同じように射精すれば男の性欲は治まってしまう。
 男にとっては女から「もう終わり?」と言われることは非常に辛いことだ。実際に勃たないのだから反論できない。「ご免」と謝るしか無い。
 女は1回の性行為で果てることは無い。続けてすることは誰にでもできることだ。
 もし女の性欲が解放されたら、一人の男では到底責任を果たし切れない。女の性欲を満足させるためには複数の男が入れ替わり立ち替わりで相手を務める必要がある。複数の男と1人の女での性交は集団暴行のように思われ勝ちだが男女の性欲の特性には適っている。
 まるで逆ハーレムのようなものだ。女が殿様の夜伽を待つのとは逆に、男が女王様の寵愛を求めて順番待ちをする訳だから。
 この状況は「何か」を思い起こさせる。売春だ。昔のちょんの間の売春や現代のソープランドやファッションマッサージは男の欲望よりも女の欲望に適ったシステムとさえ思える。
 3Pに誘われたことがある。フィリピンでホステスから「3人でしよう」と誘われて「私のcockは1本しか無い」と断ったが、本音は1回で果てるからだ。
 大学生の時に私よりもラジカルな常識の破壊者である同級生(女性)から「女1人で同時に何人の男をイカせられると思う?性器と口と両手と肘の内側とか脇の下とか・・」と言われて余りにもおぞましい光景を想像して絶句した。
 淫乱な女にとって1人の男では不充分だ。男は1回で果ててしまうからだ。もっと満足するためには別の男が必要になる。これは女にとっては良いことずくめだ。自分の欲望を満たしつつ多くの男から感謝される。これが人類最古の職業と言われる商業売春の起源だろう。

ビッチ

2010-06-22 11:25:04 | Weblog
 ワールドカップのセルビア対ドイツ戦のセルビアの先発メンバーを見て驚いた。イバノビッチなどの、語尾がイッチの選手が11人中10人を占めていたからだ。○○○ビッチだけで6人を占め、例外はコラロフ唯一人だった。
 サノバビッチという名前の選手は流石にいなかった。son of a bitchは非常によく知られた侮蔑語だ。直訳すれば「雌犬の息子」だが意訳すれば「売春婦の息子」であり、更に「お前のお袋は淫売だ」という意味になり、英米人に対しては絶対に言ってはならない禁句だと言われている。
 とは言えセルビア人選手の○○○ビッチは正確にはvici(ヴィッチ)でありbitchではない。しかし日本語ではヴィッチとビッチは必ずしも正確に区別して表記されてはいない。
 かつてJリーグの名古屋グランパスエイトにストイコヴィッチという選手がいた。彼は「ピクシー」と呼ばれることを好んでいたが、実は「ストイコ・ビッチ」と呼ばれることが嫌だったのではないかと思う。

家畜

2010-06-22 11:08:56 | Weblog
 西洋人の肉食に対する考え方は日本人には理解し難い。彼らは、家畜は食べられるために生まれ、野生動物は自由に生きるために生まれたと考える。だから家畜の生殺与奪の権は人間が握っており幾ら食べても構わないが、鯨やマグロなどの野生動物は保護しなければならないと主張する。
 日本人は野生動物は食べても良いが家畜やペットは食べるべきではないと長年考えて来た。野生の猪は「山鯨」と呼ばれて、肉食の習慣が無い間も食べ続けた。魚や鯨などの水産資源を食べるのは当たり前のことだった。
 一方、家畜やペットを食べることなど犬畜生のすることだった。犬や猫や馬などの家畜は食用ではない。鶏だけが唯一の例外で食用に使われる家畜だった。
 西洋人は手塩に掛けた牛や豚を食べる。日本人は手塩に掛ければ掛けるほど情が移って食べられなくなる。
 家畜とペットの境界について日本人はかなり曖昧だ。西洋人が日本の畜産農家を見れば、鶏以外はペットとして飼育されていると思うのではないだろうか。ペットのつもりで飼っていた豚をそうとは知らずに食べた少女は当初は号泣したが、「○○(豚の名)は美味しかった」と言ったそうだ。
 親密なものを食べられないのは自然な感情だろう。多分、多くの畜産農家は自分が育てた牛や豚はできるだけ食べないようにしているのではないだろうか。どうせ食べるのなら情の移らない野生動物を食べたいと考えるほうが自然な感情と思える。