俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

時間外手当

2010-08-10 14:55:06 | Weblog
 時間外手当は変な制度だ。これはマラソンで2時間5分で走った人よりも2時間10分で走った人に多くの賃金を払うような制度だ。
 仕事の質に注目するなら当然2時間5分で走った人に多く支払うべきであり、仕事の量に注目するなら同額であるべきだ。
 では2時間10分の人に多く支払う仕組みにはどんな経済合理性があるのだろうか。悪しき平等主義に過ぎない。人間の能力は等しいという偏見があるから、仕事の質でも量でもなく「時間」に対して賃金が支払われている。
 残業の多い人にプレゼンをさせるとダラダラと説明をするために会議まで長引いてしまう。仕事が遅く説明が長いのは要領が悪いからだろう。
 勿論、工場労働者や店員のような現場労働者は時間給で構わない。問題なのは事務員や研究者のような所謂ホワイトカラー労働者だ。ホワイトカラー労働者に対する時間外手当は給与の無駄遣いでしかない。
 もし成果主義を採るなら時間外手当は真っ先に見直されるべきだろう。時間外手当は成果ではなく勤務時間に応じて支給される不公平な制度だ。長時間労働したというプラス評価ではなく能力が足りないとしてマイナス評価されるべきだ。

プールサイドでの読書

2010-08-10 14:37:38 | Weblog
 2つの目的を持ってプールへ通っている。1つは勿論泳ぐためだ。もう1つは読書だ。
 室内でエアコン漬けになって読書するのと比べてプールサイドでの読書はエコで快適だ。暑くなったら目の前のプールで泳げば良い。プール滞在時間の半分ぐらいを読書に充てている。
 昨年の途中までは軽めの内容の本をプールサイドで読んでいた。しかし1度失敗して見直した。全然面白くない本を持って来てしまったために時間配分が狂ってしまったからだ。
 今年はプールサイドでは以前に読んで面白かった本を読み直している。これなら失敗しない。
 今日は竹内久美子氏の「その愛は、損か、得か」を読んでいた。私は彼女の大ファンで、彼女の著書だけでなく監修書や翻訳書まで読み漁っている。当然、充分楽しめたがこの本は非良心的な本だった。3年前に出版された単行本の「千鶴子には見えていた!」と同じ内容だったからだ。
 書店で見つけた時から同じ本ではないかと思ったがどこにも「改題」とは表示されていない。90%の確率で同じ本だと思いながらプールサイド用にと思って購入した。そうでなければ怒る所だ。
 本の読み直しをしていてつくづく嫌になることがある。さっぱり覚えていないからだ。これは決して歳のせいではなかろう。もし読んだ内容を全部覚えていたら学校の試験などみんな満点を取れる。記憶できないことを前提にしてインプットを増やせば、それなりに蓄積もできるだろう。1/10覚えていれば良かろうというぐらいの気持ちでいなければ読書は暇潰しにしかならない。

この世

2010-08-10 14:22:29 | Weblog
 生きる場所は「この世」しか無い。あの世も天国も来世も転生もあり得ない。
 仮に転生があったとしても無意味だ。前世での記憶も無ければ、姿形も違うしDNAも全然違う。たとえ魂が同じであろうと全くの別人だ。
 原子レベルでの復活はあり得る。
 地球上の原子は5月28日付けの「原子」で書いたとおり質も量もほぼ不変だ。原子は数十億年に亘って再利用され続けている。
 つまり私の肉体には昨日食べた豚肉から摂り入れた炭素や窒素などが使われているだろう。その炭素や窒素はアメリカ産トウモロコシから摂り込んだものかも知れないし、もしかしたら豚小屋に紛れ込んで食べられたゴキブリのものかも知れない。そのずっと前はティラノザウルスや三葉虫だったかも知れない。
 原子はこの世で循環・再利用されている。化石になって博物館で展示されている動植物以外の細胞は原子レベルでは循環して再生されている。
 私から排出された汗・小便・大便なども分解されて少なからぬ動植物の原子として再利用されている。私が死んで焼却された肉体もやはり原子レベルでは再利用されるだろう。
 原子が再利用されようと私にとっては無意味なように、仮に魂が再利用されようと、私にとっては無意味だ。大切なのは死ぬまでにこの世でどう生きるかということだ。