時間外手当は変な制度だ。これはマラソンで2時間5分で走った人よりも2時間10分で走った人に多くの賃金を払うような制度だ。
仕事の質に注目するなら当然2時間5分で走った人に多く支払うべきであり、仕事の量に注目するなら同額であるべきだ。
では2時間10分の人に多く支払う仕組みにはどんな経済合理性があるのだろうか。悪しき平等主義に過ぎない。人間の能力は等しいという偏見があるから、仕事の質でも量でもなく「時間」に対して賃金が支払われている。
残業の多い人にプレゼンをさせるとダラダラと説明をするために会議まで長引いてしまう。仕事が遅く説明が長いのは要領が悪いからだろう。
勿論、工場労働者や店員のような現場労働者は時間給で構わない。問題なのは事務員や研究者のような所謂ホワイトカラー労働者だ。ホワイトカラー労働者に対する時間外手当は給与の無駄遣いでしかない。
もし成果主義を採るなら時間外手当は真っ先に見直されるべきだろう。時間外手当は成果ではなく勤務時間に応じて支給される不公平な制度だ。長時間労働したというプラス評価ではなく能力が足りないとしてマイナス評価されるべきだ。
仕事の質に注目するなら当然2時間5分で走った人に多く支払うべきであり、仕事の量に注目するなら同額であるべきだ。
では2時間10分の人に多く支払う仕組みにはどんな経済合理性があるのだろうか。悪しき平等主義に過ぎない。人間の能力は等しいという偏見があるから、仕事の質でも量でもなく「時間」に対して賃金が支払われている。
残業の多い人にプレゼンをさせるとダラダラと説明をするために会議まで長引いてしまう。仕事が遅く説明が長いのは要領が悪いからだろう。
勿論、工場労働者や店員のような現場労働者は時間給で構わない。問題なのは事務員や研究者のような所謂ホワイトカラー労働者だ。ホワイトカラー労働者に対する時間外手当は給与の無駄遣いでしかない。
もし成果主義を採るなら時間外手当は真っ先に見直されるべきだろう。時間外手当は成果ではなく勤務時間に応じて支給される不公平な制度だ。長時間労働したというプラス評価ではなく能力が足りないとしてマイナス評価されるべきだ。