俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

母子一体感

2010-08-13 15:23:38 | Weblog
 日本には独特の母子一体感があると言う。母子一体感が良い形で現れたら一卵性親子のような仲の良い親子関係に繋がる。しかし悪い形で現れると心中や児童虐待に繋がる。
 西洋人は親子と言えども別の個人と思っているから、親が子を道連れにすることは少ない。心中は殺人と見なされる。日本人は子を分身と思っているから道連れにすることに罪悪感を余り感じない。
 母子一体感が児童虐待に繋がるというのは奇妙な主張かも知れない。私自身もつい最近までこんなことは考えていなかった。大阪市西区の2児置き去り事件の関連で、過去に児童虐待をしたことのある女性へのインタビューがあり「子供は出来物のように思えた」という発言に唖然とした。
 出産能力の無い男には分かり辛い感覚だが理解はできる。自分の体内で腫瘍がどんどん増殖してそのうち分離して独立する特殊な癌細胞のように感じられたのだろう。自分の一部が分離するのだから大便のようなものとも感じられるだろう。
 こういう母子一体感は困ったものだ。そもそも子供は母のクローンではない。DNAの半分は父からのものであり別個の生命体だ。自分から分離したからと言って大便や癌細胞ではない。1つの知的生命体だ。

種族内淘汰(3)

2010-08-13 15:06:08 | Weblog
 種族内淘汰(2)では社会的淘汰について書いたが、もう1つの種族内淘汰として性的淘汰がある。性的不能者や石女だけではなく、伴侶を得られない男女はその血筋が絶たれる。
 相手構わず種付けをしたがるオスは性的淘汰の被害者にこそなれ加害者となることは少ない。種付けの相手を選びたがるメスが「もてない男」を決めて淘汰を進めている。
 動物界で最も有名な歪んだ性的淘汰はクジャクのケースだ。クジャクのメスは尾羽が大きく目玉模様の多いオスを好む。その結果クジャクのオスの尾羽は異常に大きいものとなった。
 この不自然に大きな尾羽のオスは、飛ぶことも早く走ることもできず、しかも目立つから簡単に肉食獣に捕獲されてしまう。つまり性的淘汰において最適者でありながら、生存競争においては最不適者であるとういう矛盾した状況になってしまったためにクジャクは進化の袋小路に陥ってしまった。
 人類において最も危惧されるのは男女の同質化だろう。草食系男子という言葉が流行語になっているように男性の女性化が著しい。しかしかつて「おやじギャル」という言葉が流行ったように女性の男性化はそれ以前から進行していた。
 ファッションモデルは極端に男性化している。小さな胸、貧弱な腰、長い手足、これらは実は男性の特長だ。ジャニーズ系の男性タレントのような女性がファションモデルとして女性から持て囃されている。
 男性の女性化と女性の男性化、つまり両性の同質化は今後益々進むだろう。このことを頭から否定するつもりは無いが、多様性の減少は進化のためには不都合なことだ。

種族内淘汰(2)

2010-08-13 14:44:13 | Weblog
 環境や他の動物との競争に基づいて淘汰が行われるなら進化へと繋がる。力が強いこと、足が早いこと、寒さに強いこと、飢餓に耐えられること、これらは多くの場合適者生存のプラス条件となる。
 ところが種族内だけで淘汰が起こるとしばしば最不適者が増殖することになる。
 カラスは仲間を助ける習性を持っている。しかし仲間を助けない変種が生まれた場合、彼は仲間からは保護され、自らは危険を冒さないから生存の可能性は高まる。しかしこんな変種が増えればカラス族全体としての生存の可能性は減る。
 ヤマト運輸は多くの運送業者や郵便局と競争して信頼される企業に成長した。一方、郵便事業株式会社は信書の独占などで競争しない体質に胡坐をかいていたために内部から腐敗して7月のゆうパックの大量遅配を起こした。
 外と競争せずに内部競争に励めば進化ではなく退化・劣化が起こることが多い。
 外と競争しない組織ではどんな弊害が出るだろうか。世襲が増える。スタンドプレイをする者が評価される。火中の栗には誰も手を出さない。足の引っ張り合いをする。嘘つきが得をする。ゴマ摺りが横行する。苦言を呈する者が疎まれる。
 古代ローマ帝国の時代から「人にとって人は狼」だった。人間同士での競争でどういうタイプが有利なのかは政治家と経営者を見れば良かろう。彼らこそ種族内競争の勝利者だ。
 日本史に目を向ければ、頼朝・義経に情けをかけた平家は彼らによって滅ぼされた。一方、豊臣家を根絶やしにした徳川幕府は長期安定政権を築いた。
 要するにライバルを蹴落としたり滅ぼしたりすることに手段を選ばないような人格的に問題のある人が有利になる。種族内だけでの競争は人を不道徳化する。
 人類こそ最も同族殺しが好きな動物だ。生存のためにだけではなく、たかが宗教やイデオロギーのような理念のために殺し合う最も不道徳な動物にまで堕落してしまった。