俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

証拠

2010-11-09 17:13:45 | Weblog
 昨年6月に米原市で起こった殺人事件の裁判員裁判が今月4日から始まった。
 事件の概要については書かないが、こんないい加減な状況証拠で被告にされては堪らないという思いで一杯だ。痴漢の冤罪並みに酷い裁判だ。
 検察側は次のことを証拠としている。①被害者が消息を絶った6月10日の夜に会ったことを被告が認めている。②被告の車から被害者の血痕が見つかった。③遺体発見現場の近くで被告の車に似た乗用車が10日の夜に目撃されている。
 一方、被告は一貫して犯行を否認し「10日の夜に被害者は私の車に乗って立ち去った。その後車は乗り捨てられていた。」と主張している。証拠や証言が総て正しいとすればこんなストーリーが考えられる。
 被害者は被告と別れた後に誰かと会ってその誰かによって車内で暴行を受け、真犯人は遺体を隠したあと車を乗り捨てた。
 こんな簡単なストーリーで総ての辻褄が合ってしまう。
 要するに確かな証拠は被告の車の中で犯罪が行われたということだけだ。誰が犯人なのかを特定する証拠は何1つ無い。犯行がその車の中で行われたという証拠だけで車の所有者を犯人と断定するのは無理があり過ぎる。
 もし私が裁判員だったら迷わずに無罪を主張する。

ジャポニカ米

2010-11-09 16:50:31 | Weblog
 TPP(環太平洋パートナーシップ協定)に日本が参加すれば農家は壊滅的な打撃を受けると農林水産省は警告する。国内農業生産額9兆円が5兆4千億円まで激減すると言う。米は殆どが外国産に置き換わるとまで言う。
 あり得ないことだ。そもそもジャポニカ米は国際市場には殆ど出回っていない。2,000年以上掛けて品種改良をしたジャポニカ米を日本人が見捨ててインディカ米に切り替えるとは到底考えられない。幾ら安くてもインディカ米の寿司など想像し難い。
 日本の米が778%という異常に高い関税で保護されていることは事実だ。しかしこの関税が撤廃されればジャポニカ米が駆逐されると考えることは日本の農家や消費者に対する侮辱だろう。それはインドや中国から安い車が輸入されたら日本の自動車産業が滅ぶという主張と同じくらい自虐的で非現実的な話だ。農水省は狼少年だ。かつてオレンジやグレープフルーツの輸入が自由化される時には「ミカン農家が壊滅する」と大騒ぎしたが、結果は御存知のとおりだ。
 ところで778%という高い関税が掛けられている輸入米とはどういう素性のものだろうか。例外無き関税化を定めた1993年のGATTウルグアイラウンド合意を拒否したペナルティであり、毎年約80万トンの米がミニマムアクセス米として輸入されている。
 農水省はこの米を「国内の自給や生産に影響を与えない」ということを大義名分にして非常時用の備蓄米として保管し続けている。この馬鹿高い米は一部がピラフ用に使われたり、海外での災害に対する救援物資として寄贈されたりしているが、残りの大半が事故米として工業用に、あるいは劣化米として家畜の餌に使われているのが実状だ。カビや汚染によって事故米とされた工業用の米を食用として不正転売したのが平成20年の三笠フーズ事件だった。
 民主党による事業仕分けでは俎上にさえ載せられていないが輸入米に対する扱いはとてつもない無駄遣いだ。

保護政策

2010-11-09 16:34:06 | Weblog
 「日本の農業は弱いから保護せねばならない。農業人口の減少と高齢化により、放っておいたら食料自給率はどんどん低下する。」農林水産省はこう主張して補助金を拡大しようとする。
 弱者に対する保護は必要なことだ。しかし過保護は弱者を更に弱化させる。必要なことは延命策ではなく育成だ。
 但し、農業は必ずしも弱者ばかりではない。補助金漬けで虚弱化した米はよもかく、野菜や果物は充分に国際競争力を持っている。
 農業従事者が高齢化するのは当たり前のことだ。農家には定年が無い。定年が無いから退職した兼業農家が高齢専業農家になるだけの話だ。この高齢専業農家は充分な年金を受け取りながら趣味・道楽として農業を営んでいる。こんな最も恵まれた人に戸別所得補償が必要だろうか。これでは家庭菜園付き一戸建て住宅所有者に補助金をばら撒くようなものだ。
 弱者保護政策として大規模小売店舗法という法律がある。中小小売店を保護するために大規模小売店の出店を規制する法律だ。都心ではそれなりに有効だろう。しかし中央の役人が全然知らない地方都市では酷いことになっている。
 規制が少ない郊外に大型ショッピングセンターが作られるようになり、旧市街地は寂れシャッター街になった。自動車が無ければ買い物もできなくなり、高齢者は買い物難民になってしまった。
 保護は歪みを生む。都心で有効な政策が地方でも有効とは限らない。都会に住む官僚は地方の実情をもっと知るべきだ。