俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

カン内閣

2010-11-23 16:32:10 | Weblog
 菅内閣は「スッカラカン内閣」とか「トンチンカン内閣」とか揶揄されているが私は次のように評価する。
 使命カンを持たない指揮カンが首尾一カンしないので海上保安カンが静カンできずに無頼カンになったがそれでも日中・日ロ・日カンカンの国カンを拱手傍カンして極カンの地の領土返カンについて巷カンに絶望カンを与え、行政機カンの長カンにもまるで山カンで選んだような弛カンした鈍カンな門外カンを据えて、その補カンのために冷カンを流して遺カンの意を表するものの欠カンを方向転カンすることは未カンのままで、内憂外カンに対する大局カンが欠けていると痛カンせざるを得ない阿鼻叫カンの悪循カン内閣。
 (この31のカンには19種の漢字を使います。漢字の学習のために最適?)
 こんな言葉遊びができるのは日本語の母音が少な過ぎるせいだろう。母音が少ないから同音異義語が多くてパソコン上での誤変換がしばしば起こる。
 「貴社の記者は汽車で帰社した」という言葉遊びを笑って良いのか日本語の欠陥として嘆くべきなのか大いに迷うところだ。

風呂

2010-11-23 16:19:11 | Weblog
 ヨーロッパの女性モデルが「小便はシャワー室でしよう」と呼び掛けたことがあった。トイレで小便をすれば紙と水を使うがシャワーを浴びながら小便をすればそのまま洗い流せるので資源の消費を減らせるという提案だった。
 日本人には受け入れられない提案だろう。日本人にとって風呂は清潔な場所だ。そんな場所で小便をするなどとんでもないことだ。
 この違いは風呂に対する意識の差が現れている。西洋人にとってのバスはトイレとセットになるような汚い場所だ。垢や汚れを落とす場所であってゴミ捨て場のようと思っているのだろう。
 日本人の考え方は全然違う。日本人にとっての風呂は体を洗い清める清潔な場所だ。多分、沐浴にも繋がるような無意識の信仰心も潜んでいるだろう。日本人は随分西洋化したがやはり根っこには日本特有のものが残っている。これは外国人には理解し難いところだろう。
 外国人の入浴を禁じている温泉や銭湯が少なくないそうだ。多分、洗い場で小便をするなど日本文化に背く行為をするからだろう。
 沐浴のような信仰心を無視すれば西洋人の考えのほうが理に適っている。特に女性が洗い場で小便をすることはエコロジカルには正しい。日本人特有の土着信仰は日本人の偏見であって国際的には通用しないものだろう。

食料自給率

2010-11-23 16:00:42 | Weblog
 日本の食料自給率は41%だと言われている。但しこれはカロリー換算での話だ。生産額での自給率は66%だそうだ。
 なぜこんなに大きなギャップが生じるのか。カロリーの低い野菜の自給率が80%を超えているからだ。野菜の自給率が幾ら高くてもカロリー換算してしまえば自給率は低くなる。そもそもカロリーを唯一の基準にすることそのものが時代錯誤だ。敗戦直後の日本や低開発国ならともかく先進国ではカロリー過剰が問題化しているという現実にそぐわない。
 因みに2005年の時点での米の生産額1兆8千億円、野菜は2兆3千億円、果物は7600億円だそうだ。
 自給率を低く見せて危機感を煽るために農林水産省はもう1つトリックを使っている。畜産品の場合、飼育した場所ではなく餌の産地によって内外産を区別している。つまりトウモロコシなどの輸入飼料で育てた畜産品は国内産であろうとも輸入品として計算されている。
 この考え方を全面的に否定する気は無い。しかし家畜の飲む水は100%国産だし、畜産家は国内で働いている。それを無視して輸入品として扱うことは合理的とは思えない。たとえ輸入飼料100%で育てられた畜産品であろうと何割かは国産と見なしても良かろう。
 こうやって危機を煽るのは魂胆があってのことだ。農業補助金を増やすことによって農水省が省益を得ることと共に、兼業農家を「票田」にすることを狙っているからだ。これで農水省と農水族議員は政権がどう変わろうと常に安泰だ。