ホルモン料理の語源については二説がある。
内臓を食べたらホルモンが摂取できると考えて名付けられたという説と「放る物」だったからだという説だ。
明治時代に肉食が定着しても日本人は余り内臓を食べなかった。しかし栄養価は内臓のほうが高い。肉食動物は獲物の内臓を真っ先に食べる。その価値を知っているからだろう。
イヌイット(エスキモー)も動物の内臓を大切にする。内臓を食べるから野菜を食べなくてもビタミン欠乏症に罹らないそうだ。
私個人としては大学生の時に王将でレバー炒めを食べたのが最初だ。安くて旨くて栄養価が高いという貧乏学生にぴったりの食べ物だった。
その後モツ鍋などが流行ったりして内臓料理は広まったが内臓に抵抗感を持つ人は少なくない。
生命を残さず食べる洋食と比べて和食は贅沢な料理だと思う。旬の素材の一番美味しい部分だけを使う。他の部位は一部が従業員の賄いに使われるが多くは捨てられると言う。和食のルーツが京の貴族料理だからこんな勿体無い食文化になったのだろう。
むしろ二級の食材を調理技術によって生かす中華料理のほうが食材を無駄にしない。素材の良さを生かすという和食のコンセプトは素晴らしいが、悪い素材をどうするかということには和食は無頓着と思える。料亭が「放る物」を勿体無いと思って大衆向け料理にしたのが居酒屋ではないだろうか。
内臓を食べたらホルモンが摂取できると考えて名付けられたという説と「放る物」だったからだという説だ。
明治時代に肉食が定着しても日本人は余り内臓を食べなかった。しかし栄養価は内臓のほうが高い。肉食動物は獲物の内臓を真っ先に食べる。その価値を知っているからだろう。
イヌイット(エスキモー)も動物の内臓を大切にする。内臓を食べるから野菜を食べなくてもビタミン欠乏症に罹らないそうだ。
私個人としては大学生の時に王将でレバー炒めを食べたのが最初だ。安くて旨くて栄養価が高いという貧乏学生にぴったりの食べ物だった。
その後モツ鍋などが流行ったりして内臓料理は広まったが内臓に抵抗感を持つ人は少なくない。
生命を残さず食べる洋食と比べて和食は贅沢な料理だと思う。旬の素材の一番美味しい部分だけを使う。他の部位は一部が従業員の賄いに使われるが多くは捨てられると言う。和食のルーツが京の貴族料理だからこんな勿体無い食文化になったのだろう。
むしろ二級の食材を調理技術によって生かす中華料理のほうが食材を無駄にしない。素材の良さを生かすという和食のコンセプトは素晴らしいが、悪い素材をどうするかということには和食は無頓着と思える。料亭が「放る物」を勿体無いと思って大衆向け料理にしたのが居酒屋ではないだろうか。