俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

日本の長所

2010-11-16 16:26:55 | Weblog
 日本の欠点が日本にどっぷりと漬かっていると分からないように、日本の長所も日本人には分かりにくい。むしろ海外に出たり、外国人に指摘されて初めて気付く。
 日本のトイレは世界一快適らしい。空港やホテルなどのトイレでウォシュレット(温水洗浄便座)を知って外国人、特に欧米人と中国人はその快適さに魅せられて持ち帰りたがる人が多いらしい。
 但し温水洗浄トイレは決して日本のオリジナルではない。私が初めてそれを知ったのはタイのビーチだった。トイレにホース付きのシャワーがありそれで尻を洗う仕組みだった。この方式では下半身がビショ濡れになってしまうのでビーチ以外では使えない。それを洋式トイレに組み込んだところが日本によるオリジナリティだ。
 ロシアや中国でトイレを使った人はトイレットペーパーの質の悪さに呆れているそうだ。ゴワゴワの硬い紙なので使用するためには長時間もみ続けることが必要だとのことだ。
 居酒屋という日本人にとっては当たり前の飲食店も外国には無い。英国のバーにはフィッシュ&チップスとソーセージぐらいしか酒の肴が無いそうだ。居酒屋のような飲み且つ食べる飲み食いのための施設は世界中どこにも無い。飲と食を分離させずに飲食をトータルで楽しめる居酒屋というシステムは素晴らしい。
 治安の良さも世界有数だろう。電車の中で眠っていても滅多に犯罪に会わない国は珍しい。
 私は日本および日本人を酷評することが多いが、国際的に見ればかなり住み易い国と言えるだろう。

シャワー

2010-11-16 16:09:45 | Weblog
 シャワー式の風呂は日本ではなかなか定着しなかった。女性の支持が得られなかったと言われている。ところがホース付きのシャワーが開発されると一気に定着した。
 どこが違うのか。ホース付きのシャワーなら下から上へと放水できる。こんな些細な違いだけでホース付きのシャワーが受け入れられた。
 では女性はホース付きのシャワーのどこに価値を認めたのだろうか。性器を洗えるということだ。ホース無しのシャワーでは女性性器を洗えない。だから女性は固定式のシャワーを拒絶してホース付きのシャワーを歓迎した。男にはこんな女性の本音が分からない。しかしそれが女性の本音であるなら、和式の風呂では湯船の中で性器を洗っているということだろうか?
 プールのシャワーは固定式のものであったりホース式のものであったり、施設によって異なる。しかし多分女性はホース付きのシャワーがあるほうのプールを選ぶだろう。そんなことで集客力が左右されるとは殆どの男は気付かない。女性スタッフが気付いてもそのことを口に出すことは憚られる。
 大切なのは本音だ。本音を探るにはアンケートなどではなく実際に売れているもの・人気のあるものを分析する以外に方法は無い。
 昭和62年にアサヒスーパードライと花王のアタックが大ヒットして今でもトップブランドだ。それぞれのCMは「辛口」と「バイオを使った洗剤」だったが、購入者は「アルコール度数の高さ」と「コンパクトで場所を取らないこと」を評価したように思える。
 本音を理解しないままで、対抗して作られた他社の辛口ビールやドライビールはことごとく失敗した。ようやくここ数年、アルコール度数の高いビールやチュウハイが作られて人気商品になっているようだ。

責任

2010-11-16 15:50:14 | Weblog
 企業の責任者は社長だ。クレーマーはすぐに「社長(校長、院長)を出せ」と騒ぎ立てるが、社長が対応をする必要は無い。私が現役時代には「これは現場の問題ですので現場の責任者の私が承ります」と対応したものだ。
 経営上の問題なら経営者の責任が問われるが営業上での問題なら現場の責任者が責任を取れば充分だ。
 ところで今回の映像流出事件の責任者は誰だろうか。菅首相が珍しく自らの責任を認めたが、面白いことに首相の責任を問う声は全く聞かれない。むしろ「政治職と執行職では責任のあり方が違う」と開き直りとも思える発言をした仙石官房長官に非難が集中している。やはり日本人は自分の非を認めた人には優しく、非を認めない人には厳しいようだ。
 政府の方針が曖昧だったとは言え、情報管理が甘かっただけではなく、イントラネット(組織内情報ネットワーク)について誤った報告をし続けた海上保安庁の鈴木長官は責任を免れ得ない。
 鈴木長官の報告を鵜呑みにした馬淵国土交通大臣はどうだろうか。野党との関係改善のためには退いたほうが良いかも知れないが、開き直らずに早めに謝罪をしてから模様見をすれば充分だろう。
 一方、もし検察庁が、国の根幹である法律に背いて中国人船長の釈放を決定したのなら、越権行為も甚だしい。検察の仕事は法律に基づいて粛々と職務を遂行することであって、超法規的措置をする権限など無い。法律の否定は自らの否定に等しい。
 映像流出は執行責任かも知れないが超法規的措置は政治責任だ。政治責任を逃れるために、検察庁による執行責任に矮小化しようとする政府の姿勢はどうしようも無く醜悪だ。「責任逃れ内閣」と呼びたくなるほど無責任だ。