俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

原発ビール

2011-04-12 15:36:47 | Weblog
 クリアという第三のビールがある。リニューアルをしたらしく頭に「ニュー」が被せられている。しかしこれが信じられない極悪のネーミングだということにアサヒビールは気付いているだろうか。
 new clearはnuclearと同じ発音になる。nuclearは核・核兵器・原子力発電所の意味だ。原発事故に怯える日本人に原発ビールというとんでもない名前のビールを売ろうとするのは狂気の沙汰だ。
 newとclearはどちらも良いイメージの単語だ。しかしこの2つが連なるとnuclearというダーティな言葉になってしまう。
 原発推進者はこんな言葉遊びをしていたようにも思える。原子力発電を「最新の技術を使ったクリーンな」エネルギーと主張していたからだ。
 しかし実際の原子力発電は危険でダーティなエネルギーでしかない。原発の危険性は今回の事故で図らずも実証されてしまったし、原発が吐き出すゴミは現代の技術では処理不可能な放射性廃棄物だ。地中深く埋めるか日本海溝にでも沈めるしかないような、何万年も放射能を撒き散らすどうしようもない危険物だ。
 アサヒビールはまさか原発事故が起こって大勢が被災することになるなどとは思わずに軽い気持ちでnew clearと名付けたのだろうが、現状では不謹慎なネーミングと思われる。この駄洒落は笑えない。早急にnewを「新」と改めるべきだろう。

社説

2011-04-12 15:22:08 | Weblog
 8日の朝日新聞の社説「放射能と避難」を読んで驚いた。5日付けの私の記事「同心円」とそっくりの部分があったからだ。社説には「放射性物質の飛散は風向きや地形の影響を受ける。同心円状に広がるとは限らない。」と書かれていた。私の「同心円」と読み比べて欲しい。偶然による類似とは思い難い。
 私は朝日新聞を非難したい訳ではない。逆に光栄なことであり有難いことだと思っている。私のような無名のブロガーの文章がプロの文章家のヒントになるのならこれまで書き続けた甲斐がある。
 私のブログの読者数と朝日新聞の読者数は何桁も違う。少数の読者に向けて書いた記事が多数者に向けたマスコミで利用されることは大歓迎だ。私はマスコミに背いてでも正しいと思うことを書いている。しかし如何せん無名の1ブロガーでしかない。発言力は乏しい。
 こんな無名の一市井人の意見をマスコミが拾い上げてくれればその影響力は何千倍・何万倍にもなる。ど素人にできることは小さな事実の掘り起こしに過ぎない。それをマスコミが取り上げてくれれば大きな力ともなり得る。
 11日に石原都知事は節電策として自動販売機やパチンコ店の営業自粛を挙げた。これは3月25日付けの私の記事「計画停電」での主張と一致している。偶然の一致かどうかは知る由も無い。
 

安全対策

2011-04-12 15:02:37 | Weblog
 絶対安全な原発はあり得ない。絶対安全な飛行機など不可能だ。絶対安全な自動車など妄想に等しい。どれも比較的安全なレベルに過ぎない。従って事故は起こるという前提に立つことが必要だ。
 自動車は最もよく事故に対応している。エアバッグもシートベルトも車体強度なども事故が起こることを前提にしている。
 飛行機の安全対策は何とも心許ない。パラシュートを積んでいる旅客機は殆ど皆無だろう。事故の大半が離着陸時に起こるからパラシュートは根本的な対策にはならないが、上空での事故が無い訳ではない。そのために上空であろうと離着陸時であろうと事故が起こっても何の対策も無いということになっている。事故が起これば運が悪かったと諦めるしかない。
 原発は事故を起こさないために何重にも安全対策が施されている。事故が起こったらどうするか、ということよりもどうすれば起こさないかが検討されて来た。その結果、事故の発生そのものが想定外とされて、いざ事故が起これば右往左往するばかりでさっぱり有効な対策を取れなかった。
 事故は起こるものだ。事故を無くすことは不可能だ。不可能なことを考えるよりは事故の被害をいかにして最小限に食い止めるかを研究したほうが有効であることは自動車の例を考えれば明白だろう。原発事故は航空機事故とは違って諦める訳には行かない。事故の発生を想定外にすることは責任放棄だ。考えたくもないような最悪の事態も想定しておかなければ今回と同じ失敗を繰り返すことになるだろう。