俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

非常時のマスコミ

2011-04-19 15:31:07 | Weblog
 非常時だから政府に協力すべきだとマスコミは言うが逆ではないだろうか。非常時においてこそ是々非々を明確にすべきだと思う。太平洋戦争において政府・軍部批判は否定された。それが軍部の暴走を招いたと私は考える。
 非常時においてこそその対応の適否を厳しく判定すべきだろう。それぞれの対応が適切であったかどうかを問わなければその後も不適切な対応が続けられる。
 非常時においては小異を捨てて大同を選ぶべきだと言う。しかし大同とは権力者に対する無条件肯定ではない。間違った政策は厳しく批判されるべきだ。間違った政策が非常時だという理由で肯定されれば破滅へと向かう。
 通常時なら多少変な政策でも大した問題にはならない。しかし非常時の判断ミスは命取りになる。
 日本のこの生ぬるさは何なのだろうか。非常時でありながら明らかな失政が黙認され続けている。
 非常時に言論を封殺することは権力者の常套手段だ。権力者は非常事態宣言をしてでも言論を弾圧するものだ。言論を封殺されてもいない日本のマスコミが自らの意志で権力批判を自粛するのは通常あり得ないことだ。マスコミは責任を放棄している。太平洋戦争での犯罪的行為を反省していないのだろうか。非常時において権力に迎合するマスコミこそ非国民の名に相応しい。

安全とコスト

2011-04-19 15:17:01 | Weblog
 なぜ原発を使いたがるのだろうか。CO2を出さないからではない。ただ単に低コストだからだ。
 なぜ低コストなのか。手抜きをしているからだ。多分、今よりも十倍安全な原発は技術的には可能だろう。しかしそのためには費用が百倍ほど掛かるだろう。安全性を犠牲にすることによって低コストを実現しているに過ぎない。安全な原発は実は非常に高コストになる。だから誰も安全な原発など作ろうとしない。
 最も危険な基地と言われる普天間基地も、最も危険な空港と言われる大阪空港も、実は最初から危険だった訳ではない。危険な土地だからこそ地価が安くなりそれが住宅需要を生んで住宅密集地になった。安全を犠牲にすれば低価格になるという典型例だ。
 安全とコストは正の相関関係を持つ。安全は高価を、危険は安価を招く。経済合理性は安全とコストのバランスから生まれる。
 安全な国産の冷凍餃子と危険かも知れない中国製の冷凍餃子のどちらを選ぶだろうか。価格が同じなら誰でも国産を選ぶだろう。価格が違えば各消費者が安全性と価格を天秤に架けて選択するだろう。
 原発エネルギーが現在低コストであるのは安全性を犠牲にしているからに過ぎない。安全性を犠牲にしているから低コストな施設の安全性を高めれば非常に高コストになって作るメリットも維持するメリットも無くなるだろう。
 

バイオエネルギー

2011-04-19 15:01:45 | Weblog
 放射能汚染された土地では作付けが禁止された。政府は無責任だ。禁止すれば責任を免れられるとでも思っているのだろうか。農家に補償さえすれば済むと考えている。これは税金の無駄遣いであり農民を侮辱する態度だ。農民は乞食ではない。
 水田であれ畑であれバイオエネルギー化し易い作物を選んで作付けすれば良い。もし農産物が汚染されていたら政府が買い上げてバイオエネルギーにすれば済むことだ。汚染されていなければ農作物として普通に流通させれば良い。
 現在の土地の汚染度は測定できても1年後の汚染度は予測できないし、更に農産物が土地によってどの程度汚染されるかなど全く分かっていない。分からないなら禁止すべきではない。逆に作付けを奨励して大規模な実験をすべきだ。この実験結果は人類共有の知的財産となる。
 汚染された農作物は食料品としては不適格だが工業材料としてなら通用する。汚染された米やトウモロコシなどをバイオエタノールにすれば太陽光発電よりも高効率なエネルギーとなる。
 基本的に私は穀物をエネルギー化すべきではないと考えている。エネルギーよりも食料品を優先すべきと考えているからだ。世界では多くの人が飢餓に苦しんでいる。
 しかし食料品として使えない農作物なら積極的にエネルギー化すべきだ。農地を放置するよりもエネルギー源にしたほうがずっと良い。バイオエネルギー化は雇用とエネルギーを生む一石二鳥の対策となる。