俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

老人医療

2011-09-02 16:25:50 | Weblog
 国民健康保険料は馬鹿高いと思う。60歳以下の人の99%は国保に加入するよりも全額自己負担したほうがずっと得だろう。こんな事情から約12%の人が保険料を滞納しており各自治体は徴収に躍起になっている。差し押さえも急増しているそうだ。
 こんな異常事態になっているのは70歳以上の医療費が44.3%を占めているからだ。現役世代の高負担があるからこそ高齢者の医療が可能になっている。
 現役世代からの取り立てを強化する前に見直すべきことがある。高齢者医療の無駄遣いを減らすことだ。例えば高齢者の多くは降圧剤を日常的に服用しているがこれは本当に必要だろうか。
 高齢者の血管は固く細くなっている。そのために脳に充分な血液を送るためには血圧を上げねばならない。これは流体の法則であり必然的なことだ。同じ量の液体を流すためには、通路が狭ければ流体の速度を上げねばならない。血液という流体を早く流すためには血圧を上げざるを得ない。もし薬で無理やり血圧を下げれば脳に充分な血液が届かなくなり認知症になって医療費は更に増える。
 キリンの血圧は300㎜Hgほどあるそうだ。あれほど長い首を経由して脳に充分な血を巡らせるためには必要な血圧なのだろう。もしキリンの血圧を薬で下げれば殆んどが死んでしまうだろう。
 そんな有害な「治療」がエビデンス(有効性)を碌に検証せずに行われている。慢性医療の多くはデタラメだ。高齢者に毒物を投与するために貴重な医療費を無駄遣いするべきではない。

蝸牛角上の争い

2011-09-02 16:08:25 | Weblog
 蝸牛(カタツムリ)には2本の角がある。この2本の角にはそれぞれに支配者がいてお互いに天下を取ろうと争い続けていると言う。(「荘子」より)
 民主党の権力争いを見ているとこの寓話を思い出す。コップの中の嵐をまるで天下分け目の戦いのように騒いでいる。民主党の馬鹿さ加減は輿石幹事長の就任演説にも表れている。「私たちが求められているのはたった1つ、党内融和だ」阿呆かと思う。国民はもっと大切なものを求めている。主権者である国民を放ったらかしにして親小沢・反小沢で争っている。こんなくだらない争いのために復興事業は蔑ろにされている。
 こんな党は早く分裂すべきだ。本来の姿である民主党と自由党に戻ればまともな政党になれる。現民主党がやるべき最後の仕事は小選挙区制の廃止だろう。小選挙区制さえ無くなれば危険で不合理な二大政党制も解消される。多数の政党が合従連衡をして初めて日本に民主政治が生まれる。
 政党とは政策集団だ。これまで日本には政策集団が殆んど無かった。自民党以外はイデオロギー集団か宗教集団だったから、唯一の政策集団の自民党が圧倒的に強く選挙制度が形骸化していた。政策集団が複数存在する今なら、政策集団同士による連立内閣は可能だ。実際1993年以来、曲がりなりにも連立内閣が続いている。数合わせのための連立ではなくドイツやフランスのような政策に基づいた連立内閣になれば国民無視の内紛など無くなるだろう。

我々主義

2011-09-02 15:52:48 | Weblog
 個人の利害を善悪と混同するのは余程の阿呆だけだ。しかし集団の利害はしばしば倫理の基準となっている。
 例えば市町村は倫理的には無節操だ。村興しになるならたとえ原発でも誘致してしまう。
 家族の利害も妙に大手を振って罷り通っている。我が子の利害だけを考えて社会のルールを覆そうとする馬鹿親が何と多いことか。
 仲間の利害もしばしば暴走する。これは決して暴走族だけのことではない。仲間の利害を社会の利害よりも優先させようとする愚かなグループは無数にある。企業、公務員、シーシェパード、相撲取り、芸能人、民主党etc. etc.・・・・。
 私はこれらを我々主義=egosismと名付ける。
 利己主義の否定は子供の頃から散々教え込まれているが我々主義は否定されずむしろ肯定されている。我々主義は好ましい利他主義の一例であるとさえ考えられている。クラスのため、村のため、会社のため、国のため、は奨励されている。これらの我々主義が社会を歪める。今のところ悪い我々主義としては「地域エゴ」とか「反コンプライアンス」とか「省益(=反国益)」といった言葉ぐらいしか常識にはなっていないが今後、我々主義は利己主義と同様に否定されるようになるだろう。