俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

再生

2011-09-27 15:32:53 | Weblog
 もし何でも溶かす薬品を作った場合、大問題が発生する。その薬品を収容する容器が無いからだ。この薬品は周囲の物質を悉く溶かし続けて、最終的には地球をまるごと溶かしてしまうだろう。
 では蛋白質を分解する薬品を体内に収容できるだろうか。理屈上は不可能な筈だ。しかし実際には胃液が存在する。胃液は胃壁を消化できる強酸性の液体だ。胃壁が消化されないことについては様々な要因があり、複数のメカニズムによって胃壁は保護されている。
 特に大きな要因は胃壁が消化されるのとほぼ同じ早さで再生されているということだろう。まるで右足が沈む前に左足を出せば水面上を歩けるという眉唾物の理屈のように誤解されそうだが、生物の体とはそういうものなのだろう。
 胃壁だけではなく細胞はどんどん死に続ける。しかしそれと殆んど同じ早さで再生されている。安定しているのは死と再生のバランスが取れているからだ。再生が遅れれば衰弱するし、再生が暴走すれば癌になる。
 生命体以外は再生されない。だから堅固な金属であろうとも劣化する一方だ。生命体の本質は再生力(=自己複製力)だろう。

ルールとマナー

2011-09-27 15:20:53 | Weblog
 「交通ルールを守りましょう」という標語があるがこれは矛盾した言葉だ。ルールとは守らねばならないものであり「守りなさい」が正しい。「守りましょう」と推奨されるべきなのはマナーであってルールではない。
 ルールは守るべきものであり守らない人には罰が与えられる。一方、マナーは守ったほうが社会的には望ましいが守らなくても罰せられることはない。この2つを類義語のように扱うから妙なことになる。
 いじめは本来マナーの問題だ。個人に対する差別や軽視はマナーに反する。ところが暴力や恐喝などの刑事犯罪までいじめとしてマナーの問題に矮小化するから対応が不可能になる。結局、精神論や理想論になってしまって何も解決されない。
 「覚醒剤をやめましょう」などと警察は言わない。違反者はビシビシ取り締まれば良い。これをマナーの問題にすれば覚醒剤は蔓延してしまうだろう。
 歩道の自転車もルールの問題だ。ルールがあるのに処罰されないのは警察の怠慢だ。警察が目こぼしばかりをやっているから歩道が無法地帯になってしまっている。路上喫煙者から罰金を取る暇があるのならもっと有害な無謀運転手から罰金を徴収すべきだろう。ルールの問題をマナーの問題にすり替えるべきではない。

生命の誕生

2011-09-27 15:05:07 | Weblog
 人類が突然降って涌いたとは考えられない。地球史のどこかで誕生した筈だ。これに対する答えとして旧約聖書は神が人間を創ったとしている。しかしこれは答えにならない。人間を創った神も降って湧いたとは考えられないからどこかで誕生した筈だ。そうすると神を創った超神が、更にそれを創った超々神が必要になる。このようにして創造説は破綻する。
 進化論を説く科学界にも馬鹿げた説がある。生命は地球以外で誕生してそれが何らかの方法で地球に辿り着いたと主張する人がいる。彼らは隕石などを調べて生命の起源を探ろうとする。
 この主張は2つの誤りを犯している。
 まず地球外でどのようにして生命が誕生できたかを不問にしていることだ。地球上での生命誕生がもし不可能なら、地球外での生命誕生も不可能だろう。生命誕生の謎を地球外生命によって説明することは問題の先送りに過ぎず、神による人類創造と同様、全く答えになっていない。
 また他の星の生命体が生きたまま地球に辿り着くことは宇宙船でも使わない限り不可能だろう。地球外から生命が辿り着く可能性は無生物の中で生物が誕生する可能性よりも更に低い。
 生命の起源を宇宙に求める人の精神構造は神による天地創造を説く人と大差は無い。