俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

相対速度

2011-09-20 15:27:54 | Weblog
 相対速度が等しい状態が最も安全だ。例えば総ての車両が時速100㎞で同じ方向に走っていれば安全だ。車同士の相対速度はゼロだからベルトコンベヤーに乗っているようなものだ。この状態なら接触しても事故にはならない。隣の車の人と手を繋ぐことも可能だ。
 相対速度が最もバラバラなのは歩道だ。進行方向はバラバラ、速度もバラバラ。人と自転車が混在し、右側通行も左側通行も守られていない。そのために頻繁に接触事故が発生する。重大な事故が少ないのは絶対速度が比較的遅いからに過ぎない。
 F1レーサーがインタビューで「公道は怖くて走れない」と答えたことがある。理由は2つ考えられる。
 レーサー同士ならお互いの技量を知っている。変な走り方をしないと分かっているからたとえテール・トゥ・ノーズ(ぴったり後ろに付いた状態)で走っていてもそのままカーブを曲がることができる。ところが公道では技術が低い知らない人と走らねばならない。相手がどう動くかを予測することは難しい。
 もう1つは速度の違いだ。時速40㎞と60㎞では20㎞の差がある。レース場で時速201㎞と200㎞で走っていればその差は僅か1㎞だ。相対速度の差が大きいほうが危険だ。
 道路交通法では、歩道を走る自転車は徐行することと定められている。このことだけでも守られれば歩道の安全性は随分高まる。

内部被曝

2011-09-20 15:14:40 | Weblog
 福島県産の米の安全性が報じられているがこれは当然のことだ。放射能の多くは表面に付着している。野菜は表面だけが汚染され、洗えば汚染度は下がる。米の場合は籾殻を取った玄米を更に精米するのだから表面の汚染は殆んど除去される。ほぼ確実に安全な米について騒ぐのは手品のトリックと同じような、注目を逸らすための陽動とさえ思える。米について騒いでいれば他の食材への関心は薄れる。
 食品の放射能汚染については人体の場合と同様に、外部被曝と内部被曝に分ける必要がある。
 牛肉が汚染されたのは外部被曝した稲わらを食べたことによる内部被曝とされている。一方、野菜は殆んどが外部被曝であり、地下からの吸収による内部被曝はごく微量だ。外部被曝は、今後原発事故が収束すれば徐々に軽減される。
 一方、内部被曝は食物連鎖によって拡大する。汚染されたプランクトンを食べた小魚を大型魚が食べれば放射性セシウムはどんどん濃縮される。茨城県産のエゾイソアイナメから基準値を超える放射性セシウムが検出されたと今月5日に小さく報じられた。4月のイカナゴ以来の検出とのことだが、情報隠蔽の可能性を疑う。

テロ対策

2011-09-20 14:59:47 | Weblog
 「テロチストの遺体は豚と一緒に焼却する」と宣言すればイスラム原理主義者によるテロに対する抑止力になるのではないだろうか。必ずしも実行する必要は無いが、宣言するだけで効果がある筈だ。
 決死の犯罪に対して刑罰は抑止力を持たない。死んだ犯罪者に対する刑罰は無意味だ。たとえ死者に鞭打っても憂さ晴らしにしかならない。
 イスラム教徒テロリストは、聖戦(ジハード)の犠牲者は天国へ行けると信じているから命を惜しまない。それならその狂信を逆手に取って地獄へ落とすと脅せば思い留まるのではないだろうか。
 イスラム教徒は豚を穢れた動物と考えている。食べないだけではなく見ることさえおぞましいと考えている。仮に酷い飢饉で人間か豚かどちらかを食べねばならない状況に陥ったら彼らは人間を食べるだろう。
 イスラム教圏では火葬をしない。アラビア語では火は「ナール」でありこれは地獄を意味する。火葬されれば火焔地獄に落ちて永遠の業火に焼かれることになると言う。
 天国を信じる確信犯には地獄へ落とすという脅しが有効だ。狂信者を抑止できるのはこの世での刑罰ではなく、彼らの狂信を逆手に取ったあの世での刑罰だろう。狂信者による犯罪を防ぐために彼らの信仰を利用すべきだ。毒は毒で制することができる。