俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

すき焼き

2011-12-06 15:18:55 | Weblog
 すき焼きのルーツは2つある。関東の牛鍋と関西の鋤焼きだ。最近では関東系の「すき鍋」が主流になっているようだが、私が大学生の頃、つまり約40年前ではコンパで一番揉めたのはすき焼きの作り方だった。割り下を使って煮込もうとする東日本勢と醤油と砂糖だけを使って焼こうとする西日本勢とでテーブルが分かれたこともあった。
 すき鍋が主流になったのは和食チェーン店が全国展開するに当たって、下拵えができるので調理時間を短縮できる鍋方式を選んだからだろう。煮る料理よりも焼く料理を好む人は焼き肉や鉄板焼きやバーベキューなどへと移ったようだ。
 ところで関西ではなぜ鋤焼きだったのだろうか。鉄板が家庭に無かったから比較的面積の大きな鋤を使ったとも考えられるがもう1つの大きな要因は食器を穢さないためだろう。文明開化に伴い肉食が奨励されたが、当時の日本人の意識では肉は穢れたものだった。神聖な食器を肉によって穢さないために、食器ではない鋤が使われたのだろう。
 肉を穢れたものと考えた関西と肉に鍋を使って市民権を与えた関東とでは受け入れ姿勢が違う。牛鍋系が鋤焼き系を駆逐したのは調理時間の差だけではなく基本思想の違いも原因だろう。

脳の多重構造

2011-12-06 15:06:53 | Weblog
 脳は多重構造になっている。基礎部分は爬虫類と同じであり、その上に哺乳類の脳、更にその上に人類独自の脳が乗っかっている。当たり前の話だがそれぞれの脳は役割を分担している。基礎的な生命活動は爬虫類の脳が司り、育児などは哺乳類の脳、知的活動は人類の脳が司る。基本的にはそれぞれの役割が重複することは無い。動物はダブルチェックのような「贅沢な」機能を持たない。それぞれの脳が独立して働く。恐怖や怒りなどの基本的な情動は爬虫類の脳が司っているからこれらの感情に支配された人は爬虫類と同じレベルの行動を取る。
 人類特有の脳は決して支配的ではないので欲望において葛藤が生じる。食欲や性欲などにおいては異なった脳が異なった欲求を持つために迷いが生じる。爬虫類の脳が求める本能的行動を選ぶか人類の脳が求める理性的行動を選ぶかは「個人」に任される。理性に背いた行動を選んだ人は誘惑に負けたのではなく爬虫類の脳に負けたということだ。
 脳を統合された機能と考えるのは誤りだ。脳そのものが異なる脳が争う戦場だ。

飛び道具

2011-12-06 14:54:27 | Weblog
 人類の運動能力は他の動物に勝るとは言い難い。走っても泳いでも闘っても人類は他の動物に負ける。しかし奇妙なことに1つだけ他を上回る能力がある。それは投擲力だ。なぜこんな奇妙な能力が発達したのだろうか。多分人類は物を投げて他の動物と戦ったからだろう。投げることに特化するという奇妙な進化は人類の生存戦略だったようだ。
 投げるという戦法は非常に有利だ。一方的に攻撃できるからだ。通常、戦いではお互いに足や牙が届く位置で戦う。攻撃するために攻撃されるというリスクを冒す。ところが物を投げれば自分は敵の攻撃から安全な位置に留まったままで相手を攻撃できる。人類は知恵以上に投擲力によって他の動物を圧倒したのではないだろうか。
 賢い戦略ではあるが卑怯な戦略とも言える。刀で戦おうとする武士が弓や鉄砲で攻撃されれば「飛び道具とは卑怯なり」と憤るだろう。鉄砲を遙かに凌ぐ究極の飛び道具がアフガニスタンなどで使われている。度重なる誤爆が問題になっているアメリカ軍の無人爆撃機プレデターだ。これは何とアメリカ国内で遠隔操作をしてミサイルを発射している。