俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

やせ願望

2011-12-16 15:14:48 | Weblog
 女子小中高校生の体重が減少しているそうだ。資料の無い戦中戦後を除いて、1900年の調査開始以来初めて全年齢で減少したそうだ。
 スポーツウーマンのように健康にやせているのなら問題は無いが基礎体力も低下傾向を示しているから不健康にやせているのだろう。
 子供の発育が大切なのは知力も体力も子供時代に基礎が作られるからだ。神経も内蔵も子供の内に育成しないと取り返しが付かないことになる。視神経に至っては乳児期に暗闇で育てられた子供は一生盲目になるそうだ。体の基礎固めをすべき時にそれを怠れば一生を棒に振りかねない。
 手足が短くて背の低い日本人が白人や黒人のプロポーションに憧れてもどうにもならない。そのために唯一自分の意志でコントロールできる体重に目を向けることになる。やせることは意志の強さの証明にもなる。馬鹿げた本末転倒の話だ。
 日本人女性のBMI18.5未満のシェアは約12%だそうだ。こんなにやせた女性の多い国はパキスタンやバングラデシュなどの貧しい国だけだ。日本人女性がこんなにやせてしまったのはマスコミが揃って煽り立てるからだろう。芸能人はミイラのようだし、低カロリー食がヘルシー食と呼ばれている。全くヘルシーではないのに。

知らぬ振り

2011-12-16 14:59:45 | Weblog
 知らぬ振りは論争においては便利な戦術だ。ソクラテスの「無知の知」が最も有名だが、知識があるのに無い振りをして相手に話させればその弱点を突くことは容易い。相手が素人だと思えば専門用語を使わずに、多少単純化して話すだろう。知らぬ振りをする側はまるで蜘蛛のように網を張って矛盾を拾い集める。こんなトリックに嵌められたと気づいて怒っても手遅れだ。後から、知らぬ振りをしていたことを証明することは不可能だからだ。知っている振りをする人なら簡単に論駁できる。質問を浴びせれば必ず破綻するからだ。知らぬ振りは論破できない。本人が「知らぬ」と言えばそれは承認されざるを得ない。「記憶にございません」と同様、議論上では非常に便利な言葉だ。
 しかしこれは詭弁術であり実りある議論のためにはお勧めできない。お互いに知恵と知識を出し合って楽しく有意義な議論をすればお互いが賢くなれる。
 この最強の詭弁術を使おうとして大失敗をしたのが一川防衛大臣だ。沖縄での少女暴行事件に関する質問から逃れようとして「詳細には知らない」と言ってしまった。通常なら知っている側に説明責任が移るがこの場合はそうならない。俄か与党の悲劇だろう。与党には説明責任があるのに、知っているべきことを知らないことは職務怠慢になる。

共同幻想(2)

2011-12-16 14:44:04 | Weblog
 最も厳密な学である筈の数学でさえ共同幻想に基づいている。例えばユークリッド幾何学に対して非ユークリッド幾何学がある。ユークリッド幾何学では平行線は交わらないが非ユークリッド幾何学では交わる。どちらを公理にしても数学は成立する。つまり約束事に過ぎない。
 複素数も変な概念だ。普通の数字は二乗したら正数になる。ところが虚数i(=√-1)は二乗すれば「-1」になる。虚数を実生活で使うことは無いが数学の体系を維持するためには必要な概念なのだろう。
 実は数学はもっと根本的な共同幻想に基づいている。「同じ物が存在する」ということを前提にしないと「数」という概念は成立しない。それぞれのリンゴを違った物と考えれば「リンゴ何個」という考えは不可能になる。「犬3匹」も理不尽だ。実際に存在するのはポチとかシロなどの具体的な犬であって「同じ犬」はあり得ない。「人類」も無理だ。存在するのは個人だけだ。
 最も厳密な学である筈の数学でさえ約束事に基づかねばならないのだから他の学は約束事の塊りだ。
 社会も約束事に基づいている。キリスト教徒もムスリムも自分達の約束事に基づいて善悪を判断する。日本人も「日本教」に基づいて判断する。共同幻想に基づく思考は共同幻想の枠内に留まらざるを得ない。