俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

能力の限界

2012-03-13 15:19:14 | Weblog
 私には真実を知る能力は無いかも知れない。あるいは真実を知り得てもそれを表現する能力が欠けているのかも知れない。ウィトゲンシュタインの言うとおり、語り得ないことについては沈黙せざるを得ない。
 正しいということは証明不可能だ。帰納法を使う限りは「今のところ正しい」としか言えない。鴉は黒い、ということでさえ確実ではない。明日にも白い鴉が見つかるかも知れないからだ。実際のところ突然変異体の白い鴉はこれまでに何羽も見つかっているだろう。従って、多くの鴉は黒いとしか言えない。人間は死ぬ、ということも証明できない。将来、死なない人間が現れるかも知れないからだ。一方、誤っているということは比較的簡単に証明できる。矛盾や反例を挙げるだけで充分だからだ。
 「正しいこと」を主張せず「間違ったこと」を糾弾するばかりでは「不平の豚」に堕落しかねない。トヨタの名言の中に「代案無しで反対するな」という言葉がある。AよりはBのほうがマシだ、というスタンスに甘んじるべきだろうか。

2012-03-13 15:05:08 | Weblog
 レーニンは「国家と革命」で「人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」と書いた。これこそ正に空想的社会主義だ。前段も後段も誤りだ。「人は必要に応じて働き、必要以上に受け取りたがる」が正しい。
 私は理想論を説きたくない。現実論を書きたい。
 人は能力に応じて働くだろうか。あり得ないことだ。人は元来、怠け者だ。いかにして楽をするかを考える動物だ。最小限の労力で最大限の報酬を得ようとする。能力を最大限に発揮しようとするのは能力が評価されて特別な地位を得た人だけだ。普通の人は報酬を得るためにやむを得ずに働く。
 必要に応じて受け取ることもあり得ない。余りにも明白な金ではなく食に限って考えてもそれは明らかだ。人は必要以上に食べる。食べ放題の店では健康に有害なほど食べる。質においても欲望は止め処も無く拡大する。旨い物を食べても満足せず、もっと旨い物を、更に旨い物を求める。人間の欲は限りが無い。
 欲があるから人は働くのだが貪欲は人を滅ぼす。人はまず欲を制御することを学ばねばならない。制御された欲を充たすために働けば人は成長するが、肥大した欲のために働けば欲の奴隷になる。

嫌なこと

2012-03-13 14:49:02 | Weblog
 「嫌なことはやりません」が憲法9条の精神だと橋下市長が発言して物議を醸している。弁護士でもある氏の本心ではあるまい。過激な発言をして問題提起をすることが狙いだろう。
 憲法9条はともかく、嫌なことをやらないことが許される日本の現状には私も憤りを感じる。東北地方の瓦礫を拒絶する人々の我儘さは許し難い。そんな人は東北へ強制的に転居させるべきだとさえ思う。そうすれば東北の人々の苦しみが少しは分かるだろう。権利意識ばかりが肥大した人には義務の重みを理解して貰いたいものだ。
 ところで橋下氏は朝日新聞のインタビューで「嫌なことでもやらなきゃいけないという教育を自分は受けたことがない」と言っているが、氏が大嫌いな日教組の力が非常に強かった三重県の小学校で私はちゃんとそういう教育を受けた。
 小学校1年生の時のことだ。先生が「人の嫌がることを進んでやりなさい」と教えた。当時の私は素直過ぎたようで、すぐにその言葉を実践しようとした。休み時間に校庭に出て毛虫を捕まえて机の上に置いた。隣の席の女の子は嫌がって泣き出した。授業が始まってから先生に「なぜそんな意地悪をするのか」と尋ねられた私は「人の嫌がることを進んでやりました」と得意気に答えてこっぴどく叱られた。「人の嫌がることをやれと言ったが、人に嫌がられることをやれとは言っていない」と。