俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

神罰からの解放

2012-03-20 15:09:23 | Weblog
 聖書によると禁断の果実を食べた罰として女には「苦しんで子供を産む」こと、男には「一生苦しんで地から食物を得る」ことが課されたとされている。(「創世記」より)
 ところで日本人の男は働かなくなった。若年の男がニートとして親に依存しその後は生活保護受給者となる。これで一生働かずに済む。一方、女は出産をしなくなった。近い将来、出産しない女性が半数以上を占めることになるかも知れない。これらはある意味で神罰からの解放だ。働く苦しみと産む苦しみから解放されることは神罰から逃れるという意味を持つ。
 私は決して「男は働け、女は産め」と言いたい訳ではない。むしろ逆に、働かないことと産まないことを自然な欲求と認めたい。何しろ神から与えられた罰からの解放なのだから。働くことや産むことを奨励するためには何らかの動機付けが必要だ。インセンティブが無ければ働かないし産まないものだという認識から出発すべきだ。
 人は社会的動物だから社会参加をしたがるとか女には母性本能があるとかいった神話を捨てて、働くことや産むことの意義が見出されねばならない。もしそんな意義が見つからないなら、働かないことも産まないことも個人の自由だろう。
 但し実際のところ、産まない自由はともかく、働かない自由は国民の権利として認められている訳ではない。働かない自由を満喫した人に国民としての生存権が認められることには矛盾を感じる。
 

コロッケの唄

2012-03-20 14:53:05 | Weblog
 「♪今日もコロッケ、明日もコロッケ、これじゃ年がら年中コロッケコロッケ♪」という歌があった。私の友人はこの歌詞に納得せずに言った。「毎日コロッケなら嬉しい」と。昔は脂を使った料理が少なかった。マクドナルドもケンタッキーも無かったから脂の旨みを味わえるコロッケは育ち盛りの中高生にとっては御馳走だった。
 漫画の「オバケのQ太郎」にはインスタントラーメンが大好きな小池さんという脇役が登場した。いつもインスタントラーメン(多分チキンラーメン)を食べていた。その小池さんが結婚して、新妻は毎日腕に依りを掛けて手料理を作った。小池さんはそれでもラーメンが食べたくて仕方が無かった。Q太郎達は小池さんをラーメン欠乏症から救済すべく様々な手を打ったが悉く失敗した。結局、小池さんが寝言で「ラーメン食べたい」と言ったことで妻が気付くというオチだった。
 ジャンクフードであろうとも本人が好きなものはソウルフードだ。逆にたとえどんなに高品質な食べ物であろうとも好みに合わなければ何の値打ちも無い。幸福は客観的なものではなく主観的なものだ。どんな羨ましい境遇であろうとも本人が不幸と感じるなら彼は不幸であり、悲惨と思われる境遇であろうとも本人が幸福感を得ているなら幸福だ。幸福か不幸かを決める尺度は個人の心だ。客観的な尺度は無い。

富の分配

2012-03-20 14:36:12 | Weblog
 国民の富の量が一定なら富の奪い合いとなる。多く奪った者が勝つ。富が増える状態なら最も富を増やした者が勝者だ。富が増える状態、つまり経済成長があった時代には全体の富が膨らんだ。全体の富が増えたから個人の富も増えた。奪い合いではなく分かち合いが行われた。
 なぜ経済は成長したのか。それは国策として重点産業の育成を目指したからだろう。鉄鋼、繊維、自動車など対象を変えながら将来有望な産業を優遇した。現在の政府にはそんな産業政策は無い。唯一保護政策を取っていた原子力産業は破綻した。これが失われた20年の正体だろう。
 隣の韓国ではエコ贔屓と思えるほど一部の企業を優遇している。これが国民経済を牽引している。
 民主党政権は富の分配しか視野に無く成長戦略が欠けている。これが労働組合を支持基盤としる政党の弱点だろう。企業と組合という富の分配と同じ発想で現役と退職者あるいは高所得者と低所得者という対立構造を作って富を分配しようとしている。限られた富を奪い合うのではなく全体の富を膨らませる戦略が必要だ。ゼロサムではなくプラスサムであるべきだろう。利権を奪い合うのではなく利権そのものを作り出さねばならない。
 サッチャー元首相と同様、私も社会主義を嫉妬の政治と考えている。足を引っ張り合うのではなく協力してお互いを高め合うべきだろう。