俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

有害なスポーツ

2012-03-16 15:20:14 | Weblog
 12日に行われた体操のアジアジュニア選手権の個人総合で芦川七瀬選手が優勝した。彼女は背骨が曲がる側湾症という病気を患っており、病気を克服した美談として報じられた。
 たとえ本人の意志であろうともこれは好ましいことではない。私がすぐに連想したのは甲子園で肘痛や肩痛に耐えて登板した投手だ。昔は美談とされたが今では選手生命を奪う暴挙として禁じられている。
 彼女の場合、完治しにくい病気であり、最悪のケースでは心臓を圧迫することもあり得ると言う。多分、競技する時には痛み止めを注射して臨んでいると思うが、選手生命どころか命そのものを損ないかねない行為だ。引退を勧告すべきだろう。
 普通の体操なら健康に良い。血の巡りや関節の働きを良くし気分をリフレッシュさせる。しかし競技としての体操は明らかに健康に有害だ。どんどんアクロバティックになり危険な技が増えている。着地1つを取り上げてもその有害性は明らかだ。着地する時には物凄い力が掛かる。膝や腰などを屈めて衝撃を吸収することが健康のためには望ましい。しかし競技では最も有害な姿勢を強いる。真っ直ぐに立つことを要求する。これは足や腰に最も負担の掛かる姿勢だ。健康な人でも有害な姿勢を背骨の病気を患う人に強制すれば将来、車椅子生活を送るということにもなりかねない。彼女の将来を考えるなら引退を勧告して背骨の負担が少ない水泳などの種目への転向を勧めるべきだろう。

危険分散

2012-03-16 15:06:05 | Weblog
 危険を分散することは重要なことだ。全資産を特定の株、例えば東電や日航に投資していたら酷い目に会っていただろう。預金・貯金・保険などに分散して投資することが望ましいのはこういう事情からだ。その意味で、AIJ投資顧問㈱に全額を預けた組織は投資のイロハも知らなかったということになる。担当者は責任を問われて然るべきだろう。
 仮に10,000人乗りの旅客機が作られてもそれを採用する企業は皆無だろう。なるほど大量輸送できれば経営効率は良くなる。人件費もエネルギー代も大幅に削減できる。それでも採用しないのは、万一事故が起こったら大変だからだ。10,000人に対する補償を抱えればどんな企業であろうとも倒産する。そんな博打のようなビジネスなどできない。
 原発も博打のようなものだ。エネルギー効率がどれほど良くても一旦事故が起これば取り返しの付かないことになる。こんなビジネスモデルは採用できない。
 火力発電も水力発電も危険性はある。火力発電所の爆発やダムの決壊という可能性がある。しかしこれらは分散された危険性だ。原発事故の危険性とは比較にならないほど小さいものだ。実際、誰も直径1㎞のガスタンクなど作らない。危険は分散すべきものであり集約してはならない。

緊急性と確実性

2012-03-16 14:51:54 | Weblog
 原発事故直後にSPEEDIによる放射能拡散予測が公表されなかったのは政府の無知に基づくものとされている。しかし政府が幾らデクノボー揃いであろうともこの情報の重要性を理解している人がいれば公表されていた筈だ。重要な情報とは認識されていなかったようだ。
 なぜか。不確実な情報と見なされたからだ。結果的にはSPEEDIの予測は正しかったが、SPEEDIはあくまで予測するシステムであって事実を告知するシステムではない。更にシステムに入力された放射線量も計測値ではなく推定値だ。推定に推定を重ねた不確実な情報を垂れ流すことは無用の混乱を招くだけだと判断されたようだ。
 しかし緊急時に確実な情報などあり得るだろうか。ビルにいて火災に会ったら、原因や火元などを問わずにとにかく煙の無い方へ向かいビルから脱出しようとするだろう。緊急時に確実な情報を求めていれば逃げ遅れて死んでしまう。
 映画の「日本沈没」にこんなシーンがあり強烈な印象を受けた。主人公の科学者は日本沈没の危険性を説く。しかし政府の役人は「それは不確実だ」と言って否定しようとした。主人公は激怒して叫んだ。「確実になった時には手遅れだ!」と。緊急時対応のできない日本人は今からでもこの古い映画を見て認識を改めるべきだろう。