俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

君が代

2012-05-08 15:15:01 | Weblog
 エルヴィス・プレスリーの代表曲の1つ「ハウンドドッグ」の`You ain't nothing but a hounddog'は「ユー・エイント~」とカタカナ読みで歌うよりも「湯煙夏場の反動」と歌ったほうがスムーズに聞こえる。`What time is it now'を昔の人は「掘った芋いじるな」と覚えたそうだ。hitparadeは「引っ張れ」と聞こえる。
 英国人に日本語で「イノダのコーヒーショップへ行こう」と誘われた時、私にはin orderと聞こえた。on demandのような意味だと思い「イノダ」という固有名詞だとは全く思わなかった。
 日本語は外国人にはどう聞こえるだろうか。退屈な授業中に日本語の歌を英語表記して遊んでいたが「君が代」をこう書いた。
 `Kiss me girl, you're the one. Cheer your knees, yeah cheer your knees. Thousand rain, it seems not.'意訳すれば「キスしておくれ、愛しい人よ。貴女の脚は素晴らしい。困ったことは起こるまい。」となる。
 その続きは未完成のままだ。今後つまらない授業を受けることがあれば続きを考えてみようと思う。

良い子

2012-05-08 15:00:41 | Weblog
 良い子を演じ続けることはできない。良い子とは大人が作った幻想であり実際の子供とは懸け離れたものだ。無邪気な子供などいない。子供とは邪気の塊りだ。性欲・食欲・攻撃欲・所有欲などが制御できない状態だ。子供とは本能のままに動く獣のようなものだ。本能のままの状態を無邪気と定義することは可能だろう。しかしこの状態は通常考えられている無邪気さとは全く異なり残忍性に近い。
 本来、獣に等しい子供の中に稀に良い子がいる。良い子は周囲の期待のとおりに行動する。つまり自我の代わりに「他我」に従う。ところが困ったことに他我は矛盾だらけだ。矛盾した価値体系を無批判に受け入れていればいずれはその矛盾に気付かざるを得ない。
 精神の発達のために反抗期は欠かせない。周囲によって植え付けられた価値体系の矛盾に気付く大切な時期だ。これを経ずに大人になった人は大人になってから価値の崩壊を体験して大混乱に陥る。丁度、子供の頃に麻疹に罹れば軽い病で済むことが多いのに大人になってから発病すれば重篤な病になり易いのと同じようなものだ。それまで信じていた基礎構造が崩壊した場合、小屋なら簡単に修復できるが、巨大ビルなら瓦礫を撤去するだけでも大仕事だ。

結果の平等

2012-05-08 14:46:12 | Weblog
 結果の平等は奇妙な考え方だ。格差問題では結果の不平等が問題にされ勝ちだ。しかし人は結果の平等など求めているのだろうか。逆に結果の不平等を求めているのではないだろうか。
 パチンコで遊ぶ人は確実に結果の不平等を求めている。たとえ他人が負けようとも自分が勝つことを求める。それどころか他人が負けるからこそ自分が勝てるのだということを知っている。もし結果が平等になるなら誰もギャンブルに手を出さないだろう。
 人は選択をせねばならない。良い選択をすれば良い結果を招き、悪い選択をすれば悪い結果となる。だからこそ人は悩んだ末に選択をする。どちらを選んでも結果が同じなら選択は無意味だし、選択後の努力も無駄にしかならない。
 必要なのは結果の平等ではなく機会の平等だろう。機会の平等の無いパチンコ屋、つまり良い台が一部の常連客によって独占されている店は潰れるし、結果が平等、つまり誰も勝てないような店に客は立ち寄らないだろう。
 結果の不平等を解消することはギャンブルで負けた人に賭け金を返すようなものでフェアではない。機会の平等に的を絞るべきではないだろうか。論点を整理しなければ感情論にしかならない。良い結果を得た人を妬むのではなく、チャンスが平等に与えられることを求めるべきだろう。