俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

走る凶器

2012-05-18 15:15:19 | Weblog
 かつて自動車は「走る凶器」と呼ばれたことがあった。歩道の敷設が不十分で道路交通法にも不備があったために多くの歩行者が自動車事故で犠牲になった。
 しかしこれは過去のことではなかった。昨年の交通事故死者数4,612人の内、歩行者は1,686人とのことだ。1/3以上が歩行者だ。歩行者同士での死亡事故は極めて稀なので殆んどが自動車・バイク・自転車による事故の被害者だ。
 自動車の運転者が事故で死傷することはある程度は自業自得だろう。しかし歩行者が交通事故に巻き込まれる場合、大半は歩行者に落ち度は無い。4月12日の祇園での暴走事件以降、妙に対歩行者の交通事故が目立つ。死者が出なかったので全国的には余り騒がれなかったが、大阪では脱法ハーブを吸った男が商店街を暴走するというとんでもない事件があった。
 一連の事件に飲酒運転による事故が1件も無かったことは喜ぶべきことだろう。飲酒運転を厳罰化したことの効果と言えよう。性善説に立ってマナーに訴えるよりは、性悪説に立ってルールで束縛したほうが効果は大きいようだ。

繋がり

2012-05-18 15:02:09 | Weblog
 繋がっていることは良いことと考えられ勝ちだ。インターネットは繋がっていることに価値があり広く繋がっていないインターネットなど無意味だ。
 しかし繋がり過ぎることは良くない。関西のJRの各線は環状線で繋がっているために普段は便利だが、いざ事故が発生すると全体に不都合を齎す。例えば阪和線は環状線を経由して京都線や大和路線に繋がっているが、そのためにどこかで発生したトラブルが全体に影響を及ぼす。
 ギリシャではユーロを通貨としている。日本はユーロ圏と深い繋がりがある。そのためにギリシャの国内でのトラブルが日本経済を混乱させる。繋がっているが故の不具合だ。
 絆は今では良い意味で使われることが多いが、元々はシガラミのようなネガティブなニュアンスも持っている。連帯保証人という形で繋がると大変な目に会いかねない。無理心中のような繋がり方も困ったものだ。
 繋がり過ぎているから被害が拡大するのならどこかに安全弁を設けるべきだろう。過剰な電流が流れたらヒューズが飛ぶように中断させる仕組みこそ必要だ。家族の繋がりを無条件に認めたために長い間DV(ドメスティック・バイオレンス)が放置された。繋がりの弊害を見逃すべきではない。

防止

2012-05-18 14:50:04 | Weblog
 防止しようとすべきではない。削減・軽減すべきだと思う。0にするためには大変な労力を要する。0にするために努力するよりも軽減で良いのではないかとしばしば思う。
 犯罪を無くすことは不可能だ。そんな不可能な目標を掲げても無意味だ。削減できれば効果があったと見なすべきだろう。
 交通事故も無くならない。しかし事故を減らすことだけを考えるよりも被害を最小限に留めることを考えたほうが効果は大きい。そして更に踏み込んで、車両側と歩行者側の両方を睨んで対策を講じればもっと良かろう。バンパーなどは車の安全だけではなく歩行者の安全まで考慮すべきだろう。
 津波の被害を防ぐために多数の防波堤が作られた。しかしそれらは今回の東日本大震災でブチ壊された。防ぐのではなく被害を軽減するという方向で対策を見直すべきだろう。最善の津波対策が高台への避難だったとは何とも皮肉なことだ。
 誰も雨を止めようとは思わない。雨が降ったら傘をさせば良い。これを自然に対する敗北と考える人はいない。できることをやれば良い。できないことをしようとすれば無理・無駄が生じる。柳のように受け流す姿勢こそ望ましい。