俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

投票権

2012-05-29 15:18:39 | Weblog
 成年後見人制度が認められた人は投票権を失う。このことに批判的な記事を時折見掛けるが、私は正当だと思う。自分の身辺のことさえ対処できない人に政治的な判断が可能とは思えない。知的能力が低下した人は周囲の意向に流され勝ちであり、自由な意志に基づく投票は難しい。
 同様の理由から知的障害者からは投票権を剥奪すべきだと考える。知的障害者には様々な特典が与えられている。この特権を持つ人は自動的に投票権を失うべきだろう。知的障害者としての特権を享受しながら一般人としての権利を行使することは知的障害者に対する過度な優遇であり悪平等でさえあるだろう。
 一人一票という制度は確かに公平ではあるが不合理だ。この制度の正当性は「神の前での平等」を前提としなければ成り立たないのではないだろうか。真剣に考える人といい加減な人の票の重さが同じで良いとは思えない。
 投票権は軽過ぎる。暴力団員であろうと脱税者であろうと権利が与えられている。投票権はもっと重くあっても良かろう。一票の価値が軽いから私は投票しない。もっと重ければ万難を排してでも投票するだろう。

医療と科学

2012-05-29 15:02:40 | Weblog
 私は医療は科学ではないと考えている。医師から怒られそうな主張だが、科学の特性を考えれば当然のことだ。科学は実験によって再現可能でなければならない。ところが医療は個々に対する対応こそ重要であり普遍科学とはなり得ない。
 なるほど指を切断すれば大至急繋ぐし骨折すれば元の形に戻して固定すれば良い。しかし医療の大半はこんな単純なものではない。ほんの数年前までは傷は消毒するものだったが今では余程汚い場所での傷以外は消毒などせずに水洗いすることが奨励されている。高血圧に対して血圧降下剤、鬱病に対して抗鬱剤を処方することが治療になるとは思えない。
 高血圧という症状が現れる原因は様々だろう。原因を無視した対症療法はしばしば有害だ。風邪における解熱剤が却って病気を悪化させるように、老人性高血圧に対する血圧降下剤の投与は認知症を招きかねない。それは、最も血圧の高い動物であるキリンに血圧降下剤を与えるようなもので、血圧が下がることによって脳に充分な血が行き渡らなくなるからだ。
 個々の病気は様々な原因から発生する。原因ではなく病名に頼った治療は危険だ。同じ病名であろうと治療方法は様々だ。
 新型鬱病が鬱病の一種と見なされるのはどちらにもSSRIが効くからだとある精神科医から聞いたことがある。酷い話だ。医療は全然科学的ではない。

生きがい

2012-05-29 14:47:30 | Weblog
 何でも生きがいになる。蓄財であれ女漁りであれ子育てであれ本人が「これが私の生きがいだ」と決めれば生きがいになる。決める必要さえ無い。思うだけで充分だ。
 生きがいは創造されるものではない、捏造されるものだ。大した根拠も無く信じ込まれる。だから容易に失われ再生される。「彼女こそ我が命」と思っていた男が幻滅すればすぐに次の偶像をでっち上げるようなものだ。この心理を背後で操っているのが「盲目的な生への意志」だろう。生きることが予め肯定されているから生きる意味など何とでも捏造できる。
 「生への意志」とは奇妙な欲求だ。通常の欲求は欠乏を充足しようとするものだが、これは現状を維持することを目標とする。「死なない」ということが本来の目標であり「何をやりたいか」は後付けだ。尤もらしければ何でも構わない。
 「死にたくない」という欲求を裏付けるための消極的な生きがいではなく「これをやり遂げねば死ねない」という積極的な意志こそ望ましい。仏教では、愛着は執着に過ぎないとして諦念を説くが、執着こそ本来の生きがいだろう。安易な生きがいは無価値だが執着は「生」を意味あるものにしようとする積極的な意志として尊重されるべきものだろう。