俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

悪い癖

2012-07-06 15:17:28 | Weblog
 平泳ぎの選手を紹介する番組を見た。彼女が早く泳げる秘訣は蹴り戻しがコンパクトなことだと解説していた。体の真後ろで小さく蹴り戻すから余計な抵抗が生じずスピードが落ちないとのことだった。
 私の泳法の欠点に気付いた。ガニ股で泳いでいることだ。ガニ股だから足が体の横にはみ出して抵抗を大きくしている。早速、足を広げない泳法に挑戦してみた。従来と同じピッチで泳いでも25mで5秒ほど早くなったので驚いた。この泳法をマスターしようと思った。ところが1週間もすると問題が生じた。膝の関節が痛み始めた。これまでと違った蹴り方なので、筋肉と関節に慣れない動きを強いるからだ。歩く時にも痛みを感じるようになったので新フォームは諦めて元のフォームに戻した。
 負け惜しみと思われるかも知れないが、最も早く泳げるフォームは必ずしも合理的なフォームではない。野球の投手は球威を増すためにかなり無理なフォームで投げてそれが原因となって肘や肩を痛める。むしろキャッチボールの投法のほうが無理の無い合理的なフォームだろう。ガニ股で泳げば無理が生じないのでそのフォームで何十年も泳ぎ続けていた。それを今更変更しようとすれば痛みが出ても当然だ。悪い癖を改めるなら20代の頃にやっておくべきだった。
 思考において悪い癖を改めても脳は痛まない。筋肉や関節とは違って脳は柔軟だ。水泳では悪い癖を改め損なったが思考においては積極的に悪い癖を見つけて改善し続けたい。

検査数値

2012-07-06 15:06:33 | Weblog
 高血圧の人に降圧剤を処方することに意味があるのだろうか。
 逆の「低血圧症」の場合は明らかだ。薬で血圧を上げても症状は全く改善されない。この病気の原因は自律神経の乱れであり、低血圧はその結果に過ぎない。原因に対処せずに結果だけを操作しても無意味だ。それはカンニングをして100点を取っても学力が向上しないのと同じことだ。結果ではなく原因に対処せねばならない。
 そう考えれば降圧剤の効果は疑わしい。何らかの原因があって血圧が上がっているのなら、その結果に過ぎない高血圧に対処することは無意味だ。それどころか血圧低下という異常反応を起こさせる毒物を長期的に服用することは自傷行為とさえ思える。
 生活習慣を改善することによって血圧が正常値になったなら治癒と言えよう。これは原因に対処したから結果も改善されたということだ。薬で検査数値だけを捻じ曲げるのとは全然違う。
 血糖値やコレステロール値などについても同じような愚かなことを治療と称してやっているのではないだろうか。

患者作り

2012-07-06 14:48:00 | Weblog
 日本の医療は患者作りに励んでいる。これは実際に病人にするという意味ではなく、病人でない人まで患者扱いをするという意味だ。血圧、血糖値、コレステロールなどの基準値をほんの少し下げるだけで大量の病人予備群がでっち上げられて病院は大繁盛して医療費は無駄遣いされる。メタボ検診で男性の腹囲を女性以下の85㎝に設定したのは改善されにくい男性患者を増やしたいという意図の現れだろう。
 鬱病患者が増えたのも同じ事情だ。仕事に不満を持つ人を鬱病と診断すれば患者には休む権利が、医師には新規顧客が生まれる。患者と医師は利害が一致するウィン・ウィンの関係だ。
 収入は単価×数だ。医療の単価は決められているから数さえ増やせば収入は増える。本当は病気でない人を患者にすれば市場が拡大する。市場が拡大すればマスコミが話題にする。10人しかいない奇病は話題になりにくいが鬱病患者なら百万人以上いる。誰でも鬱病に罹ると煽れば、自分も鬱病ではないかと心配して心療内科を訪れる人が増える。こういう病気でない患者ほど有難い客は無い。元々病気ではないのだから悪化する心配は無い。それでも「薬をやめたら死ぬ」と脅しておけば延々と金を払い続ける。
 商売では顧客作りが重要だ。小売店は営業時間を延長したりポイントカードを導入したりして顧客作りに励んでいる。しかし最も顧客作りに成功したビジネスは医療だろう。病人ではない患者が激増して医療の市場は拡大し続けている。