俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

既得権

2012-07-17 15:30:48 | Weblog
 市営プールの利用者は65歳以上の高齢者が多い。施設使用料が半額だし暇だからだ。しばしば老人サロンのようになり高齢者の忌憚の無い意見を耳にする。最近は橋下市長に対する批判が多い。全国に類の無い市営交通の高齢者無料パスを廃止しようとしているからだ。
 一旦獲得した権利は既得権となる。従ってたとえ特権と思えるようなものであろうともそれを侵害しようとする者は「悪」とされる。だから政治家は特権を保護しようとする。増してや多数者でありしかも投票率が高い高齢者の特権はアンタッチャブルとなる。こうしてバラ撒き政治が続く。
 市営交通の無料パスを特権と感じない老人の意識は恐ろしい。65歳以上だという理由だけでそんな特権を得ることを不当と思わないのだろうか。多分、古代ローマ人は、最初のうちは「パンとサーカス」のバラ撒き政治に感謝しただろう。しかしそれが既得権となると更に高額な物を要求するようになったのだろう。きりがない。生活保護費を受給すれば当初は感謝してもやがては既得権となり低賃金で働くことが馬鹿馬鹿しくなる。
 権利の要求はどこまででも肥大する。一旦得た特権は既得権となりそれ以上の特権を要求し始める。こんな既得権を見直さない限り財政を立て直すことなどできない。公務員の優遇も老人に対するバラ撒きも既得権であり、彼らが反対しようとも見直す必要がある。

在る物

2012-07-17 15:19:15 | Weblog
 かつて成田空港予定地では農民達による三里塚闘争があった。私は農民を支持するが成田空港利用を拒絶しようとは思わない。
 これまでに環境を破壊する多くの道路が作られた。私はそんな道路を作るべきではないと考えることが多いが、作られてしまったらその道路を利用したほうが便利だ。
 私は原発には反対だ。しかし既にある原発は安全性をランク付けして、上位に絞って有効に活用すべきだ。
 民主主義のルールは自由に発言できるということだ。決まるまではどんな発言をしても構わない。しかし決まったことに従うことがもう1つのルールだ。決まったことに逆らうのは民主主義ではない。増してや決まって更に実施されたことに対する実力行使はテロリズムにも等しい。
 決めるまでは大いに議論すべきだ。しかし決まった後でもそれまでの主張に拘泥することはルール違反だ。試合が済んだ時点でノーサイドとなるように、議論の決着の時点で結論が出たとすべきだろう。増してや既に作られた物を使わないことは資源や施設の無駄遣いとしか思えない。在る物は利用可能な限りは優先的に使うべきだろう。

食餌療法

2012-07-17 15:07:37 | Weblog
 なぜ食餌療法なのだろうか。普通に「食事」で良いと思うのだが敢えて「餌」の字を充てる所に医療関係者による悪意を感じる。栄養を考えることは「餌」に拘るようなものだと言いたいのだろうか。
 医食同源という言葉があるが正しいとは思えない。重要なのは食であり、医はそのサポート役だろう。植物とは違って光合成ができない動物は、食物を消化吸収することによってしか外部エネルギーを取り込むことができないのだから、最も大切なのは栄養学だ。ところが医師は栄養学の知識が乏しいので自己の無知を正当化するために栄養学を馬鹿にしようとする。その現れが「食餌療法」という言葉ではないだろうか。
 栄養学が万能だとは思わない。かつてビタミンの存在が知られていなかったように未知の栄養素は今でも沢山あると思う。特にキノコ類の栄養価は謎だらけだ。栄養学は発展途上の学問だ。それでも充分有効だ。現在の栄養学に基づく食生活の改善だけでも随分健康に貢献するだろう。薬という名の毒物や手術という名の傷害に基づく現代医療よりも遙かに優れている。