俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

スポーツと健康

2012-07-24 15:37:45 | Weblog
 基本的にはスポーツは健康に良い。人類は体を動かすことを前提にして進化したので、現代のような動かない生活は病を招く。日本人の歩く距離は江戸時代の半分以下になっているだろうし、肉体労働者は激減した。機械は動かさないとサビ付いてしまうが、動かすべき体を動かさなければ稼動部分だけではなく中枢神経までおかしくなる。それが生活習慣病だろう。この「不自然な」状態を解消するために人工的に動くこと、つまりスポーツが欠かせない。
 しかし健康に悪いスポーツがある。競技スポーツだ。競技スポーツは体に無理を強いる。最も極端な例は相撲だ。相撲という競技に特化した体を作ってしまうために多くの力士は短命だ。肘に掛る負担が大きいテニスにはテニス肘というスポーツ傷害があるし、野球の投手は肘や肩を痛めることが多い。動きが偏らないサッカーには特定の「職業病」は無さそうだが鍛え過ぎることは将来の健康に悪影響を与えそうだ。
 宇宙飛行士が無重力生活による弊害を防ぐために筋肉トレーニングを欠かせないように、辛い肉体労働から解放された人類がスポーツという形で体に負荷を掛けねばならないのは当然だが、肉体労働相当以上の負荷を掛けてしまえば不具合を招くのもまた当然のことだろう。

社会保障費

2012-07-24 15:21:20 | Weblog
 社会保障費を垂れ流し続ける限り財政再建は不可能だ。年金と医療費が問題だ。
 私は昨年から年金受給者になったが貯金は増え続けている。現役時代と違って出費が少ないからだ。付き合いも減ったし衣料費もクリーニング代も不要だ。年金は積み立てた額に見合う支給の筈だが国による上積みが多過ぎる。後の世代ほど積み増しが減る不公平な年金制度になっているが、世代ごとの格差を是正して、現在の支給額を減らすべきではないだろうか。
 年金過多の時代は団塊の世代が死に絶えるまで続く。より正確には団塊の世代を中心とする現在の高齢者の死亡数が新しい年金受給者数を上回るまで続く。つまりあと20年ぐらいは年金支給額は増え続ける。現在の支払を減らして将来の支払を増やせば世代間の不公平は解消されるし資金繰りも楽になる。
 医療費の無駄遣いについては何度も書いているが、癌などの治せない病気に対する延命効果さえ認められない治療と、高血圧などの非病人に対する無駄な投薬を速やかにやめるべきだ。医療費負担の無い生活保護受給者に対する薬のバラ撒きも取り締まるべきだ。これは薬の横流しに繋がる。西成区では露天で薬を売っている人がいるらしい。しかし多く処方されている筈の睡眠薬や抗鬱剤などの人気の薬はどういう訳か余り見当たらないそうだ。売れ筋品については既に販売ルートができ上っているのだろうか。

鎮痛剤

2012-07-24 15:06:46 | Weblog
 「痛くなったらすぐセデス」とか「ノーノー心配ノーシン」とかいったCMがある。どちらも頭痛薬だがこんな対応で良いのだろうか。
 痛みとは何らかの不具合を知らせるサインだ。そのサインを消すことは治療とは全く違う。非常ベルのベル音を消すだけで何も手を打たないようなものだ。多分、薬は血管を収縮させて痛みを緩和するのだろうが、最も典型的な対症療法であり病気を悪化させかねない。
 切り傷や骨折をすれば痛みを感じる。この痛みだけを抑えることが治療と言えるだろうか。麻酔薬か鎮痛剤で痛みを抑えても患部は手付かずだ。傷からは血が流れ続け骨折箇所は折れ曲がったままだ。これでは死や身体障害に繋がる。痛みを消すことではなく痛みの原因を治療することが大切だ。私にはセデスはハデス(冥界の王)、ノーシンは脳死のように聞こえる。
 生理痛や二日酔いの頭痛ならセデスやノーシンで誤魔化しても構わない。治療しなくても時間が経てば治るし、そもそも病気ではないからだ。しかしそれ以外の頭痛を鎮痛剤で抑えることは粉飾決算のようなものだ。その場は凌げても問題は全く解決されていないからだ。問題を隠蔽することは解決とは逆でありいずれは破綻を招く。そんな薬が市販されテレビCMまで流されている。