俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ポピュリズム政治

2012-07-27 15:41:51 | Weblog
 政治家は特定の集団に利益を供与することによって支持を得ようとする。今、問題なのは高齢者と農家であり、かつて厚遇してその後破綻したのは零細小売業者だ。
 高齢者は数が多く投票率も高い。そのためどの政党も高齢者を敵に回したくない。それが高齢者に対するバラ撒き政治を招く。大阪の市営交通無料パスは国や県レベルではなく市によるバラ撒きなのでこれまで余り問題化されなかった。多くの市町村でも同じようなバラ撒きが行われていることだろう。
 減少傾向にあるとは言え日本の農家は200万戸だ。一世帯4人とすれば800万人、つまり800万票の票田だ。しかも多くの農村地区は憲法違反とされるほど一票の価値が高い。だから農家は厚遇される。戸別所得補償などの補助金は農業振興を騙るただのバラ撒きだ。補助金で票を買うようなものだ。
 零細小売店を守るために大規模小売店舗法がある。それが何を招いたか。大型店の郊外出店と地方都市の中心街の空洞化だ。町の中央に大型店があれば周囲の小売店はコバンザメ商売をして大型店の集客力を利用できる。しかし大型店を郊外に追い出してしまったからシャッター商店街が全国に広がり高齢者は買物難民となった。
 弱い人の味方というタテマエで行う保護政策の大半は政治家によるポピュリズムに過ぎない。政治家の票集めのために社会は歪み、税金は浪費され、国の借金は膨らむ。こんなデタラメの埋め合わせのための増税には何の正当性も無い。

刑罰

2012-07-27 15:27:30 | Weblog
 一年ほど前にこんな事故があった。自転車が信号を無視して飛び出したので事故を回避しようとしてハンドルを切った自動車が他の車と衝突し、コントロールを失った車が歩行者を撥ねた。この裁判でどんな判決が出ただろう。勿論、歩行者には瑕疵は無い。撥ねた自動車の運転手の責任も問い難い。結局、自転車に乗っていた人が懲役刑となった。多分、自転車の信号無視としては史上最も重い刑罰だろう。
 刑罰は行為そのものではなく結果に対する罰だ。川に石を投げることは好ましくない行為だが犯罪ではない。しかしたまたま通り掛かった船の乗員に当たれば傷害罪になる。被害者がいるのだから当然、加害者もいることになる。
 では飲酒運転はなぜ犯罪なのだろうか。通常の犯罪は誰かに迷惑を掛けることによって成立する。自動車の運転なら事故を起こした時点で犯罪となる。飲酒運転をするだけならまだ被害者はいないのだから犯罪ではない筈だ。これは飲酒によって注意力が低下するからと説明される。注意力が低下すれば事故を起こす可能性が高まるから罰則化することによって予防するということだろう。
 それでは飲酒運転と無免許運転はどちらが危険だろうか。泥酔状態でなければ無免許運転のほうが危険だろう。無免許運転での重大事故には飲酒運転と同様に危険運転致死罪が適用されて然るべきだろう。
 

定義

2012-07-27 15:12:39 | Weblog
 いじめを定義する必要がある。言葉を曖昧なままで使っていれば議論は成立せず対策も立てられない。恐喝や傷害はいじめではない、犯罪だ。犯罪をいじめという形に矮小化しようとするから無理が生じる。犯罪として対応すべきだ。大津中学校の事件を警察が強制捜査したことで遅蒔きながら犯罪と認められた。それ以降、他の地域でも警察が動き始めた。かつては「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」と言って放置されていたDV(ドメスティックバイオレンス)が犯罪と認定され、あるいは児童虐待が社会問題化されたように、学校という密室内での犯罪も犯罪と扱われて当然だ。
 癌も定義されていないからデタラメ医療が横行する。広辞苑では「悪性腫瘍」と定義されているがこの「悪性」が曲者だ。「悪性」が定義されていない。悪性と良性の違いとは何か。悪性腫瘍は人を死に至らしめるが良性腫瘍なら致命傷とはならない。つまり結果として患者が死んだら悪性腫瘍だったということになる。結果で悪性か良性かが決められては医療の出番が無い。そこで医師が、悪性腫瘍になる恐れがあると見なしただけで癌として扱えるようにしている。これは全く恣意的な基準であり科学的ではない。そのために悪性か良性か分らない腫瘍は問答無用で悪性として処理される。腫瘍を無差別に内臓ごと取り除くようなデタラメは医療ではない。悪性腫瘍を定義することから始めねばならないほど低レベルな状況だ。