俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

三分割

2012-07-31 15:31:40 | Weblog
 幼稚な二分割思考以外に三分割思考という困った思考方法がある。例えば勝・負・互角とか、賛成・反対・分らない、がそれだ。白・黒・グレーと三分類するのだから白・黒の二分類よりはマシだ。しかしグレーの濃淡を理解していないから誤った考え方だ。
 原発の安全神話を信じていた人が、いざ事故が起これば「危険だ、すぐ廃止せよ」と言う。これが二分割法だ。三分割法の人は「専門家が今回の事故を踏まえて対策を立てるべきだ」と言う。分らないことは他人任せにしてしまう。
 安全は絶対的なものではなく相対的・比較的なものだ。絶対に危険なことならあり得る。高いビルから飛び降りたり火薬の傍で火を遣うことなどは絶対に危険だ。しかし絶対に安全な飛行機も自動車も不可能だ。比較的安全なものしかあり得ない。
 マスコミは米軍の新型輸送機オスプレイを危険だと騒ぐが何と比べて危険と言っているのだろうか。普天間基地で現在使われている輸送機は30年ほど前に作られたポンコツ機らしいがそれよりも危険なのだろうか。あるいは三沢基地の戦闘機F16は今月の22日にも墜落した。国内だけでもこれまでに何度も墜落しているがこれは危険な航空機ではないのだろうか。
 安全・危険を二分割や三分割でしか考えなければ本当の問題解決には繋がらない。

正しい

2012-07-31 15:15:30 | Weblog
 哲学とはどういう学問か。私は「正しい」とは何かを問うことでありそれは2つに大分類できると思っている。1つは善悪を問うことだ。もう1つは正誤を問うことだ。日本語ではどちらも「正しい」だが英語ではそれぞれgoodとcorrectとなる。前者を問うのが倫理学で後者は論理学だ。
 私の主たる関心は前者なのだが、善悪を知るためには正しい論理を身に付ける必要がある。そのために因果関係などを中心に理性を磨いて来たつもりだが、そんな目で見て最も許せないのは医学だ。医学こそ最も非論理的・非科学的かつオカルト的な学問であり、人の生命に直結するだけに憤りを感じずにはいられない。門外漢である私が医学と薬を糾弾し続けるのはこんな事情からだ。
 医学は科学だと自称する。しかし実際には科学たり得ない。「再現可能性」を充たせないからだ。病気は個々に異なる。同じような症状であろうとも同じ病気とは限らない。このに罠がある。同じ病気であっても、違う病気だったから違う結果になったという詭弁が通じる。そのために医師の恣意的な判断を否定できない。
 科学では例外は認められない。もしリンゴが木から落ちなければ万有引力の法則は否定され新たな理論体系が求められる。医学は例外だらけだ。それならせめて今後はエビデンス(証拠)に基づく医療に努めるべきだろう。

偏見

2012-07-31 15:00:09 | Weblog
 世界の鰻の70%を日本人が食べているそうだ。蒲焼きという技法だけではなく、夏には売れなかった鰻を「土用丑の日」として夏食材にした平賀源内の功績も大きい。但し、日本人が食べ過ぎるせいで鰻が激減しているのは困ったことだ。
 日本人は鰻以外にも蛸や鯨など他の民族が余り食べない物を好む。さぞかし外国人は日本人をゲテモノ食い民族と思っていることだろう。勿論、日本人はこれらをゲテモノとは思っていない。猿の脳味噌を食べる中国人やエスカルゴを食べるフランス人や犬を食べる韓国人のほうがゲテモノ食いだと思っている。
 人は自分達の習慣を疑わない。自分達の習慣は正常なものであり違う習慣を異常と考える。
 伝統のあるものだけではなく新しい道具であっても導入当初の物に引き摺られる。洋式トイレの蓋はその典型例だ。バス・トイレがセットになった施設でなければ蓋は必要無い。今でこそ蓋の無いトイレは市民権を得ているが、10年ほど前に業務改善として「蓋の無いトイレ」を社内で提案した時には散々非難された。それほど人は今在る物は正しいと考える傾向にある。導入歴の短い様式トイレ以上に、長年続いた習慣を見直すことは難しい。人は偏見の塊とさえ思える。