「私のお尻がもうちょっと上にあったらメダルが取れていたかも知れない」
昭和39年(1964年)の東京オリンピックで女子体操個人総合で6位に入賞した池田敬子選手の試合後のインタビューでの発言だ。何せ48年も前の子供の頃の記憶だから正確ではないかも知れない。また当時私は単純に「お尻が垂れている」と解釈したが真意は「足が長かったら」と言いたかったのかも知れない。
金・銀は無理だっただろう。1位のチェコのチャスラフスカ選手と2位のソ連(現ロシア)のラチニナ選手の力量は頭抜けていた。3位以下は僅差だったように思うから容姿で負けていなければ銅メダルなら取れていたかも知れない。
当時の日本人は現代人よりも胴長・短足だった。正座によって足の発育が妨げられ栄養も不充分だったからだ。
しかし足の長さは普遍的な美だろうか。それは西洋人が優れていて東洋人は劣っているという偏見から生まれた美醜観ではないだろうか。曖昧な記憶だが、源氏物語には非常に胴の長い美女が描かれていた。谷崎潤一郎の小説ではロダンに胴長の美を賛美させていた。胴長・短足を「醜」と決め付けることには賛同しかねる。
昭和39年(1964年)の東京オリンピックで女子体操個人総合で6位に入賞した池田敬子選手の試合後のインタビューでの発言だ。何せ48年も前の子供の頃の記憶だから正確ではないかも知れない。また当時私は単純に「お尻が垂れている」と解釈したが真意は「足が長かったら」と言いたかったのかも知れない。
金・銀は無理だっただろう。1位のチェコのチャスラフスカ選手と2位のソ連(現ロシア)のラチニナ選手の力量は頭抜けていた。3位以下は僅差だったように思うから容姿で負けていなければ銅メダルなら取れていたかも知れない。
当時の日本人は現代人よりも胴長・短足だった。正座によって足の発育が妨げられ栄養も不充分だったからだ。
しかし足の長さは普遍的な美だろうか。それは西洋人が優れていて東洋人は劣っているという偏見から生まれた美醜観ではないだろうか。曖昧な記憶だが、源氏物語には非常に胴の長い美女が描かれていた。谷崎潤一郎の小説ではロダンに胴長の美を賛美させていた。胴長・短足を「醜」と決め付けることには賛同しかねる。