俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

無駄な年金

2012-08-31 15:17:23 | Weblog
 私個人は年金など無くても生活には困らない。それくらいの資金なら既に貯えている。もっと極端な例は故・松下幸之助氏だろう。松下電器産業(現パナソニック)社長で、当時日本一の金持ちと言われていた松下氏は年金を支給されて驚いたそうだ。松下氏のような大金持ちにとっては年金など端金でしかない。なぜこんな変なことになるのか。
 年金は掛け金と国庫負担がベースになる。従って掛け金の多い人ほど年金の受取額が増える。しかし掛け金の多い人とは所得の多い人であり多分資産も貯蓄も多い人だろう。そのために金持ちで生活に困らない人ほど年金が多いということになっている。
 だからと言って資産家の年金を没収して良いという訳ではない。資産家にとって年金は貯金の一種なのだからもしこれが没収されるなら、高所得者は年金保険料を納めなくなる。そんな事態になれば年金財政は破綻する。
 やるべきことは国庫負担のメリハリだ。高所得者に対する国庫負担は薄く、低所得者には厚くすべきだ。これで浮いた分を後の世代の年金に上乗せすれば世代間格差も縮小できる。

選択と集中

2012-08-31 15:05:59 | Weblog
 10年程前に、産業界では「選択と集中」という言葉が流行った。自社の長所と短所を分析して、限られた経営資源を調書に注ぎ込むという戦略だ。
 変化の少ない社会ならこの戦略は有効だろう。しかし変化の大きい社会ではこれは破綻に繋がりかねない。シャープがそれだ。世界最高品質と言われた液晶に特化した結果、経営危機に陥っている。
 選択しなかったことが功を奏したのはデパートだ。戦前・戦後は家電などの家庭用品や呉服、その後は化粧品などの婦人雑貨や婦人服、あるいは食品や宝石・貴金属といった具合に、その時点で良く売れる物を形振り構わずに拡販した。こんな戦略が可能だったのは「百貨」を扱っていたからだ。衰退産業と言われながらしぶとく生き残っているのは「選択と集中」をしないからだろう。
 生き方も同じだろう。危険分散をすることが大切だ。「これしか無い」というスタンスでは多くが失敗する。「これが駄目ならあれ、あれも駄目ならそれ」という具合に異なった多くの引き出しを持つほうが安全だ。

副作用

2012-08-31 14:52:36 | Weblog
 薬に副作用は付き物だ。「副作用の無い薬は無い」と薬学の教科書には書かれているらしいが、もし副作用の無い薬があったら毒にも害にもならない偽薬だろう。薬とは人体に異常反応を起こさせる劇物だ。
 良い副作用をオフラベル効果と呼ぶそうだ。例えばバイアグラは狭心症の治療を狙って開発された。冠動脈の血管を広げて血流を促す筈が、いざ人体実験をしてみれば冠動脈ではなく陰茎周辺の動脈に対する作用のほうが顕著だったので、本来の薬効ではなくオフラベル効果であるED(勃起不全)治療薬として発売された。
 薬害で有名なサリドマイドはてんかんの治療薬として研究されたが睡眠促進というオフラベル効果のほうが大きかったので睡眠薬として発売された。しかし妊婦が服用した場合に高い頻度で四肢の不自由な子供が生まれたので販売中止になった。その後、抗癌剤として使われている。
 このように良く効く薬とは人体の様々な部位に様々な異常反応を起こす劇物だ。薬は危険物であることを前提にしてメリットとデメリットを秤に掛けることが必要だ。良薬は口に苦し、どころか良薬とは必ず強い副作用を伴うものだ。