1日に必要な蛋白質は約300gなのに食品から摂取されているのは約70gらしい。残りの230gがどこから湧くのかは長い間謎だったがそれを解明したのが今回のノーベル賞の対象になった「オートファジー」の理論だ。つまり外部から摂取するよりも多く、既に体細胞になっていた蛋白質が再利用されているということだ。
外部にある蛋白質を新たに消化吸収するよりも体内に既にある蛋白質を多く利用するのは、後者のほうが使い勝手が良いために優先的に使用して足りない量を前者によって補っているからだろう。この仕組みは合理的だが大きな弱点も持っている。狂った細胞が一旦体内に入ってしまえばそれが何度も再利用・再々利用されることによって癌やパーキンソン病の原因にもなっているらしい。
俄仕込みの知識で最新医療技術についてこれ以上論評しても意味は乏しいが、医療以外に対する応用について考えることなら素人にもできる。自然界で日常的に起こっていることの大半が現代科学のレベルを遥かに超えており自然界は無尽蔵とも思える知恵の泉だ。恒星で日常的に行われている核融合、眼の複雑な機能、あるいは生命活動そのものでさえ科学は殆んど解明できていない。碌に理解をせずに見切り発車をしようとした核分裂技術によって人類は手痛い打撃を被った。
オートファジーの考え方は様々に応用できるように思えるが、私は咄嗟に、医学・科学技術・組織運営の3つの分野において有効ではないかと思った。
コレステロールの8割が体内で生成され外部から摂取されるのは僅か2割に過ぎないという事実はこれまでずっと軽視されていたが、昨年ようやくこの事実に基づいてコレステローのル摂取制限が見直され摂食制限が撤廃された。
紙などの素材産業において再利用は余り重要視されていない。アルミニウムなどの一部の金属だけが例外だ。ボーキサイトなどから精製するよりもアルミ屑を再利用したほうが低コストだからだ。素材を再利用していれば品質が劣化し続けることは産業界では常識なのだろうが、この際1から見直しても良かろう。ソバ屋や焼き鳥屋などの「秘伝のタレ」のように再利用が付加価値を生むことは決して珍しくなかろう。そもそも地球そのものが再利用によって成り立っている。地球誕生以来の約50億年間、地球の構成物は殆んど変化していない。原子レベルで見れば質量共に延々と破壊と再生を繰り返しているだけだ。持続可能(sustainable)な社会を目指すなら有限な資源の無限活用に頼らざるを得ないと断言できるのではないだろうか。
組織に新しい血が必要であることを否定しないが、再利用はもっと重視されるべきだろう。せっかく自社独自の仕様で育成した人財≠人材を定年という理由だけで軽んじるべきではなかろう。オートファジーに学ぶ形で人財の有効活用を根本的に見直しても良かろう。
「自食」には忌まわしいイメージが付き纏うが、意外なほど合理的な仕組みではないだろうか。
外部にある蛋白質を新たに消化吸収するよりも体内に既にある蛋白質を多く利用するのは、後者のほうが使い勝手が良いために優先的に使用して足りない量を前者によって補っているからだろう。この仕組みは合理的だが大きな弱点も持っている。狂った細胞が一旦体内に入ってしまえばそれが何度も再利用・再々利用されることによって癌やパーキンソン病の原因にもなっているらしい。
俄仕込みの知識で最新医療技術についてこれ以上論評しても意味は乏しいが、医療以外に対する応用について考えることなら素人にもできる。自然界で日常的に起こっていることの大半が現代科学のレベルを遥かに超えており自然界は無尽蔵とも思える知恵の泉だ。恒星で日常的に行われている核融合、眼の複雑な機能、あるいは生命活動そのものでさえ科学は殆んど解明できていない。碌に理解をせずに見切り発車をしようとした核分裂技術によって人類は手痛い打撃を被った。
オートファジーの考え方は様々に応用できるように思えるが、私は咄嗟に、医学・科学技術・組織運営の3つの分野において有効ではないかと思った。
コレステロールの8割が体内で生成され外部から摂取されるのは僅か2割に過ぎないという事実はこれまでずっと軽視されていたが、昨年ようやくこの事実に基づいてコレステローのル摂取制限が見直され摂食制限が撤廃された。
紙などの素材産業において再利用は余り重要視されていない。アルミニウムなどの一部の金属だけが例外だ。ボーキサイトなどから精製するよりもアルミ屑を再利用したほうが低コストだからだ。素材を再利用していれば品質が劣化し続けることは産業界では常識なのだろうが、この際1から見直しても良かろう。ソバ屋や焼き鳥屋などの「秘伝のタレ」のように再利用が付加価値を生むことは決して珍しくなかろう。そもそも地球そのものが再利用によって成り立っている。地球誕生以来の約50億年間、地球の構成物は殆んど変化していない。原子レベルで見れば質量共に延々と破壊と再生を繰り返しているだけだ。持続可能(sustainable)な社会を目指すなら有限な資源の無限活用に頼らざるを得ないと断言できるのではないだろうか。
組織に新しい血が必要であることを否定しないが、再利用はもっと重視されるべきだろう。せっかく自社独自の仕様で育成した人財≠人材を定年という理由だけで軽んじるべきではなかろう。オートファジーに学ぶ形で人財の有効活用を根本的に見直しても良かろう。
「自食」には忌まわしいイメージが付き纏うが、意外なほど合理的な仕組みではないだろうか。