俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

煙草税

2011-09-09 13:40:14 | Weblog
 小宮山厚生労働大臣は笑いながら煙草税の増税を主張した。笑って増税を口にする政治家を見たのは初めてだ。
 流石にヤバイと思ったのか、翌6日には他の閣僚が相次いで批判し、小宮山大臣も言い逃れに終始していた。相変わらず民主党の閣僚の言葉は軽く、懲りずに失言・放言を繰り返している。
 小宮山大臣は喫煙者を減らすことも増税も「善」と信じ切っていたからこんな失言をしたのだろう。こんな独り善がりの人こそ最も危険だ。自分と違う嗜好を持つ人に対する弾圧には何の痛みも感じないからだ。テロリストと同じ精神構造だ。
 禁煙キャンペーンは現代の魔女狩りにも等しい集団ヒステリーだ。煙草の有害性は排気ガスの数百分の一に過ぎず、実際に人間は過去500年以上に渡る喫煙歴を持っている。
 それと比べて遙かに危険な禁煙補助剤が出回っている。チャンピックスという薬で6人が意識を失い、うち3人は自動車の運転中だったために交通事故を起こしたそうだ。事故死した人も含めれば副作用の被害者はもっと多いだろう。事故死した人が何人いようと証言できないからだ。
 酒で意識を失った人は少なくないが煙草で意識を失った人はいない。煙草よりも危険な禁煙補助剤を野放しにしている現厚生労働大臣かつ前厚生労働副大臣の責任を問いたい。「意識障害が発生した」という事実さえ公表すればあとは服用者の自己責任だと考えているのだろうか。あるいは喫煙者などは交通事故で死ぬべきだとこっそり企んでいるのだろうか。こんな無責任な情報垂れ流しに終わっていては国民に対する責任は果たせない。

最大級の震災

2011-09-06 14:36:23 | Weblog
 震災対応はどこまで可能だろうか。
 人類が知っている最大の震災はギリシャのサントリーニ島の大地震だろう。この時には高さ90mの津波に襲われたと伝えられている。この震災に尾鰭が付いて、一夜にして水没したアトランティス大陸の伝説が生まれたとも言われている。
 確かな証拠のある最大の天変地異はヒマラヤ山脈だろう。ヒマラヤには魚や貝の化石がある。当時は島だったインドがアジア大陸と衝突した時の衝撃でヒマラヤ山脈が生まれたそうだ。
 この2つの大震災に耐えられる建造物は可能だろうか。宙に浮かない限り不可能だろう。つまり現代の技術では、過去に発生した最大級の震災には耐えられない。従ってあらゆる建造物は地震で破壊されることを前提とせねばならない。人類の叡智を尽くしても震災に耐えることはできないのだから、壊れたら困るような施設を作るべきではない。つまり原発は、宙に浮く技術が開発されるまでは作ってはいけないということになる。壊れたら「運が悪かった」と諦められる施設だけを作るべきだ。

未知の栄養素

2011-09-06 14:23:07 | Weblog
 栄養素はまだ分からないことだらけだ。ビタミンやミネラルは今後も新たに発見されるだろうし発酵菌などの効能はまだ充分には解明されていない。ビフィズス菌で寿命が延びるという説も最近発表された。
 茸類の栄養価は椎茸のビタミンD以外はよく分かっていない。舞茸やシメジなどにはアガリクスのような未知の栄養素が備わっているかも知れない。
 日本人は魚に含まれるDHAやEPAの有効性を知っているが多分外国人はそんな物質が存在することさえ知らないだろう。
 食物繊維も長い間「カス」と思われていた。今では有効成分と評価されて、わざわざ添加している飲料もある。
 栄養素が未解明なのだから丸ごと食べることが有効と思われる。シシャモやイワシなどの小魚を丸ごと食べれば動物のために必要な栄養素を残らず摂取できそうだ。鶏卵やカズノコやタラコなども生命の元なのではないだろうか。
 卵はコレステロールが高いから有害だという俗説を流したのは誰でどんな意図を持っていたのだろうか。コレステロールの必要性が証明されても、コレステロールには善玉と悪玉があると主張して引き下がろうとしない。卵類は最も完全栄養食品に近いものではないだろうか。

純粋理性批判

2011-09-06 14:06:25 | Weblog
 カントの純粋理性批判は素晴らしい名著だ。なぜこの思想が社会の常識として広まらないのか不思議でならない。主旨を噛み砕けばこういう内容だ。
 人間は無限や永遠を理解できない。人間は経験に基づいて考える。経験は知覚に基づく。ところが知覚は有限な物の一部しか感知できない。一部しか感知できない情報を継ぎ足しても全体像は摑めない。増してや知覚することさえ不可能な無限や永遠を経験することなどできる筈が無い。知覚も経験もできない無限や永遠を前提とした論理は理性による越権行為であり妄言にしかなり得ない。
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 つまり大勢の盲人が象に触っているようなものだ。ある人は鼻に触って「象とはホースだ」と言い、足に触った人は「柱のようなものだ」と言い、尻尾に触った人は「紐か蛇のようなものだ」と言い合っている状態だ。知覚が感知可能なのはごく一部に過ぎない。目の見える人は盲人達に「みんな部分を全体だと思っている」と笑う。しかし視覚も真理を捉えられない。象を見てもその質感や匂いが分からないだけではなく、象が反射する紫外線も赤外線も見ることができない。結局、不完全な知覚を積み重ねたものを想像力で補完しているに過ぎない。人間は「物自体」を知ることはできず、「現象」に頼らざるを得ない。
 思考力を無限だと思うことは途方もなく傲慢なことだ。思考の限界を認識して初めて無意味な理屈に振り回されることから解放される。

老人医療

2011-09-02 16:25:50 | Weblog
 国民健康保険料は馬鹿高いと思う。60歳以下の人の99%は国保に加入するよりも全額自己負担したほうがずっと得だろう。こんな事情から約12%の人が保険料を滞納しており各自治体は徴収に躍起になっている。差し押さえも急増しているそうだ。
 こんな異常事態になっているのは70歳以上の医療費が44.3%を占めているからだ。現役世代の高負担があるからこそ高齢者の医療が可能になっている。
 現役世代からの取り立てを強化する前に見直すべきことがある。高齢者医療の無駄遣いを減らすことだ。例えば高齢者の多くは降圧剤を日常的に服用しているがこれは本当に必要だろうか。
 高齢者の血管は固く細くなっている。そのために脳に充分な血液を送るためには血圧を上げねばならない。これは流体の法則であり必然的なことだ。同じ量の液体を流すためには、通路が狭ければ流体の速度を上げねばならない。血液という流体を早く流すためには血圧を上げざるを得ない。もし薬で無理やり血圧を下げれば脳に充分な血液が届かなくなり認知症になって医療費は更に増える。
 キリンの血圧は300㎜Hgほどあるそうだ。あれほど長い首を経由して脳に充分な血を巡らせるためには必要な血圧なのだろう。もしキリンの血圧を薬で下げれば殆んどが死んでしまうだろう。
 そんな有害な「治療」がエビデンス(有効性)を碌に検証せずに行われている。慢性医療の多くはデタラメだ。高齢者に毒物を投与するために貴重な医療費を無駄遣いするべきではない。

蝸牛角上の争い

2011-09-02 16:08:25 | Weblog
 蝸牛(カタツムリ)には2本の角がある。この2本の角にはそれぞれに支配者がいてお互いに天下を取ろうと争い続けていると言う。(「荘子」より)
 民主党の権力争いを見ているとこの寓話を思い出す。コップの中の嵐をまるで天下分け目の戦いのように騒いでいる。民主党の馬鹿さ加減は輿石幹事長の就任演説にも表れている。「私たちが求められているのはたった1つ、党内融和だ」阿呆かと思う。国民はもっと大切なものを求めている。主権者である国民を放ったらかしにして親小沢・反小沢で争っている。こんなくだらない争いのために復興事業は蔑ろにされている。
 こんな党は早く分裂すべきだ。本来の姿である民主党と自由党に戻ればまともな政党になれる。現民主党がやるべき最後の仕事は小選挙区制の廃止だろう。小選挙区制さえ無くなれば危険で不合理な二大政党制も解消される。多数の政党が合従連衡をして初めて日本に民主政治が生まれる。
 政党とは政策集団だ。これまで日本には政策集団が殆んど無かった。自民党以外はイデオロギー集団か宗教集団だったから、唯一の政策集団の自民党が圧倒的に強く選挙制度が形骸化していた。政策集団が複数存在する今なら、政策集団同士による連立内閣は可能だ。実際1993年以来、曲がりなりにも連立内閣が続いている。数合わせのための連立ではなくドイツやフランスのような政策に基づいた連立内閣になれば国民無視の内紛など無くなるだろう。

我々主義

2011-09-02 15:52:48 | Weblog
 個人の利害を善悪と混同するのは余程の阿呆だけだ。しかし集団の利害はしばしば倫理の基準となっている。
 例えば市町村は倫理的には無節操だ。村興しになるならたとえ原発でも誘致してしまう。
 家族の利害も妙に大手を振って罷り通っている。我が子の利害だけを考えて社会のルールを覆そうとする馬鹿親が何と多いことか。
 仲間の利害もしばしば暴走する。これは決して暴走族だけのことではない。仲間の利害を社会の利害よりも優先させようとする愚かなグループは無数にある。企業、公務員、シーシェパード、相撲取り、芸能人、民主党etc. etc.・・・・。
 私はこれらを我々主義=egosismと名付ける。
 利己主義の否定は子供の頃から散々教え込まれているが我々主義は否定されずむしろ肯定されている。我々主義は好ましい利他主義の一例であるとさえ考えられている。クラスのため、村のため、会社のため、国のため、は奨励されている。これらの我々主義が社会を歪める。今のところ悪い我々主義としては「地域エゴ」とか「反コンプライアンス」とか「省益(=反国益)」といった言葉ぐらいしか常識にはなっていないが今後、我々主義は利己主義と同様に否定されるようになるだろう。