俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

楽天

2013-11-04 11:30:49 | Weblog
 一般に絶対的エースのいるチームは短期決戦に強いと言われている。日本シリーズなら2勝を期待できるからだ。しかし楽天はそうではない。レギュラーシーズンの成績は82勝59敗3分で勝率0.582だが、田中投手の24勝0敗を除けば58勝59敗3分で0.496となる。つまり勝率5割に満たず、野手はともかく田中投手以外の投手力に不安のあるチームだ。
 対する巨人には田中投手ほどの傑出した投手はいないが勝率0.613だ。つまり田中投手が投げない試合については勝率6割強のチームと5割弱のチームの闘いとなる。明らかに巨人に分がある。星野監督の思惑は多分、田中投手で2勝、則本投手で1勝、その他(美馬か辛島)で1勝だっただろう。これが田中投手で1勝しかできなければその他で2勝必要になりかなり厳しい。
 結果としては美馬投手の神懸り的な快投のお蔭で優勝できたが、最後に田中投手を使ったことには絶対に納得できない。俄かファンは喜んだだろうがプロ野球史上最悪の采配だと思う。たとえ本人が志願しようとも、前日に160球も投げた投手に投げさせるべきではない。もし最後の矢野選手に同点ホームランでも打たれていれば、あるいはもっと悪いケースとしては怪我でもすれば、取り返しが付かない。田中投手の将来を考えれば絶対に温存すべきだった。星野監督が熱血漢だから熱血に同調してしまったのだろうが「♪腕も折れよと投げゆく闘志♪」(「巨人の星」主題歌より)を賛美すべきではない。
 昔のプロ野球の選手管理は無茶苦茶だった。古くからのファンならこの言葉を覚えているだろう。「権藤 権藤 雨 権藤 雨 雨 権藤 雨 権藤」要するに雨の日以外の中日ドラゴンズの投手は権藤投手ばかりだった。結局3年で潰されてしまった。これではブラック企業そのものだ。この反省があるからこそ、現在の中日には48歳の山本昌投手が健在だ。
 ところで来年の楽天はどうなるだろうか。田中投手がメジャーリーグに行ってしまえば残るのは勝率0.496の弱いチームだ。ここは田中投手の移籍金を使った大型補強が必須だろう。まるで某チームのように金にモノを言わせてフリーエージェントの資格を得た選手を掻き集めるべきだろう。そうしなければ来年の楽天はBクラスだ。

カエルの目

2013-11-04 10:51:46 | Weblog
 カエルには動く物しか見えないそうだ。だから目の前にハエの死骸が転がっていても気付かずにわざわざ生きたハエを捕まえようとする。このことを下等動物だからと馬鹿にすべきではない。人間にも似た性質があるからだ。
 流石に人類の目は止まった物が知覚できない訳ではないが、身に付け続けている物を感じにくくなるという性質がある。小学生がランドセルを背負って「ランドセルが見つからない」と騒ぐぐらいなら微笑ましいし、老人が眼鏡を掛けていることを忘れて眼鏡を探すのも笑い話で済む。問題はもっと深刻だ。
 消費税が5%で生活していれば消費税を感じなくなる。現在5%払っていることを忘れて増税さえされなければ良いと考える。現状維持なら不満を持たない。この現状是認こそ欠陥だ。リーマンショック後の不況時にイギリスとフランスでは付加価値税を引き下げた。日本では議論さえされなかったし、英仏のことは殆んど報じられなかった。
 年金が減額される話には敏感だが現在の年金が適正かは誰も問わない。減りさえしなければ文句を言わない。
 日本国憲法には多くの欠陥があるが、改憲派以外はその欠陥に目を瞑る。本当は護憲派こそ改正に熱心であるべきだと思うのだが日本ではそうではない。現状を維持しようとするだけで、より良い憲法にしようとはしない。
 刑法や民法、あるいは食品衛生法や道路交通法も多くの問題点を抱えている。それらを改正しようとせずできるだけ穏便にすませようとする。そして問題が発覚してから大騒ぎをする。現在騒がれているレストランの偽装表示問題も大半が違法ではない。法律(ルール)が無ければ慣習に従うのは普通のことだろう。慣習に従ったことに対してあたかもルール違反をしたかのように報道することこそ偽装だとさえ私は考える。レストラン業界の非常識ぶりを庇い立てしたい訳ではないが、怒るべき相手が間違っていると思う。違法とされていない行為を感情的に非難するよりも法律の不備こそ問題にして速やかに法改正をすべきだろう。
 これらの事実は、人類の視力はカエルよりも優れているが、知力はカエルの目と同様、動くものしか知覚できないということを証明している。

ランク分け

2013-11-03 09:00:31 | Weblog
 10月31日に政府の教育再生実行会議がまたまた奇妙な大学入試改革案を提言した。現在のセンター試験を改めて「発展レベル」テストにすると言う。1点刻みの試験にはせず大まかなランク分けにするそうだ。「人物重視」の面接や論文と合わせて、1点刻みの無駄な競争が無くなると言うが、もし本気なら正気とは思えない。
 正規分布曲線を縦割りしてA・B・C・D・Eにランク分けして欲しい。すぐに気付くと思うが、中央のCランク以外では境界線の付近がそれぞれのランクで最多になる。つまりAランクの最多数者はBランクとの境界線上に集まり、Bランクの最多数者はCランクとの境界線上に集まる。境界付近に集まる多数者が境界線の右になるか左になるかで天国と地獄の違いになるのだからこの近辺が最も熾烈な争いになる。
 今までなら1点の差は1点に過ぎず二次試験での挽回が可能だった。しかし僅か1点の違いで下位のランクに落とされた人は災難だ。二次試験で物凄い得点を取らない限り合格できない。これでは1点のために今以上に血眼になるのではないだろうか。受験ビジネス業界は当然このことを指摘して煽り立てるだろう。
 この馬鹿げた制度を審議する国会議員に問いたい、曖昧な当選基準に納得できるだろうか。もし議員定数が無く「特に多くの票を集めたら当選」と定められたらどう考えるだろうか。断固反対して、従来通りの定数制か何票以上とすべきだと主張するだろう。競争に対する判定は公平かつ客観的でなければならない。
 結果だけを曖昧にしても経過が緩和される訳ではない。もしどこがゴールか分からない曖昧なマラソンがあれば選手は無理をせずに済むだろうか。とんでもない、最初から最後まで競争が続いて大変なレースになるだろう。得をするのは勝手にゴールを決めて勝敗を操作できる主催者だけだ。恣意的に合格者を選別することには公平性も公正性も無い。あるのは打算だけだ。

司法軽視

2013-11-02 10:15:46 | Weblog
 日本は三権分立の国だ。立法・司法・行政が三竦みになって権力の暴走を防ぐシステムだ。この3者で行政の立場が最も弱い。立法によって大臣が決められるからだ。行政生え抜きの人は事務次官にまでしか登れない。たまに骨のある官僚が大臣に抵抗したり大臣をコントロールしようとするが組織の壁は厚い。その結果として立法を担う国会議員の権力が肥大し勝ちだ。
 一体化した立法・行政に対抗できる唯一の権力が司法だ。司法のみが権力の暴走を阻止できる。
 ところが大きな問題が顕在化しつつある。立法による司法軽視だ。司法が違憲と判断すれば立法は速やかに法改正をする義務がある。ところが現在、2件も放置されている。1票の格差と婚外子問題だ。
 この2件に関して、私個人は全面的に司法判断を支持している訳ではないし何度か批判記事を書いている。しかし違憲判決がある以上、それに従うべきだ。判決を尊重しつつそれが招く社会問題にも充分に配慮して速やかに法改正を図るべきだ。
 最近の自民党は中国共産党に似ている。まるで自民党が国家の最高権力だと信じているようだ。司法を軽視して憲法を曲解してやりたい放題だ。国民は自民党に独裁権を委ねた訳ではないのに白紙委任状を貰ったかの如く振舞っている。
 奇妙な話だが日本には護憲政党が無い。自民党は綱領に改憲を掲げ、護憲を標榜する政党は憲法の摘み食いしか考えない偏った非民主主義勢力だ。未だかつて真の護憲政党が無いとは何というデタラメ国家だろうか。憲法が蔑ろにされ司法が軽視されればナチスドイツのような独裁制へと向かう。
 権力を持つのは衆議院と参議院だけではない。ねじれが解消されただけで独裁権があると信じる自民党の驕りを正す必要がある。三権分立の重要性を再認識すべきだ。

カラスは黒い

2013-11-02 09:43:48 | Weblog
 「カラスは黒い」という命題を証明することは実は非常に難しい。帰納法では不可能だ。仮に1億羽のカラスが黒くても他の1羽も黒いという証明にはならない。
 「川は流れる」も正しくない。一時的に流れが止まることもあれば、黄河のように断流になることもある。
 これらは屁理屈のように思われるだろう。これらは「総てのカラスは黒い」と「総ての川は常に流れている」を否定しているだけだと考える人が少なくなかろう。しかしそんな理屈が罷り通っている。日常語を厳密に解釈してマスコミが騒ぎ立てている。
 私は「薬は総て危険を伴う」と確信している。薬とは体に異常反応を起こさせる劇物であり、これは当然、危険を伴う。ところが薬の副作用が発覚すればまるでその薬だけが欠陥品であるかのように騒ぐ。しかもずるいことには、特定の薬だけしか攻撃しない。タミフル以外の風邪薬による薬害は、スポンサー様に配慮して報道が自粛されているようだ。
 最近話題の「偽装」か「誤表示」かについても疑問を感じる。特に変だと思うのは「鮮魚」という言葉だ。元々曖昧に使われていた「鮮魚」を突然厳密に解釈して「解凍した魚は鮮魚ではないから偽装だ」と騒いでいるがこれは東京裁判と同様、定義の後付けだ。「鮮魚」の定義は元々曖昧であり、鮮魚売場には解凍したマグロが並んでいる。近海物と近大マグロ以外は総て解凍されているのにその事実は無視されている。いつトバッチリが鮮魚売場にも及ぶことやら。
 私が非難したいのは曖昧な日常語を突然勝手に厳密に解釈して騒ぎ立てていることだ。例えば「薬は安全であるべきだ」は日常語としては正しい、しかし科学的には不可能だ。日常語として「この薬は安全です」と言った医師が詐欺罪に問われるべきだろうか。
 20年ほど前にPC(politically correct「政治的に正しい」)という言葉が流行ったことがある。しかしPCな表現は余りにも煩雑になり今では殆んど日常的には使われていない。日常語に厳密な意味を押し付けることは詭弁に近い。日常語は曖昧だからこそ使い勝手が良い。「カラスは黒い」も「川は流れる」も厳密には正しくなくても日常語としては正しい・

自由人

2013-11-01 11:14:05 | Weblog
 マスコミを通じて発信する人は総て職業人だ。政治家であれ学者であれタレントであれ、職業人として発信する。当然、彼らは共通の価値観を持っている。働くことによって自己実現できる、と。
 古代ギリシャの自由人なら全然違った考え方をする、労働などは奴隷にさせるべきであって自分達はもっと高尚な政治・芸術・修業・社交などに時間を割くべきだ、と。
 私は古代ギリシャの自由人を支持する。文化人は自分の知恵や知識を切り売りすべきではなく、況や大衆に迎合などすべきでもない。知恵や知識は自分のためにこそ最も役立つ。
 サラリーマン時代の35年間は勉強から遠ざかっていた。年間4000時間以上働いた年もあり新聞やテレビの情報を一方的に受け入れていた。退職後に勉強を再開して自分がいかにマスコミに騙されていたかを痛感せざるを得ない。
 医学・科学・政治・経済、どれもデタラメが罷り通っている。特に医学の正しい知識は直接自分の役に立つ。
 薬学の教科書には「副作用の無い薬は無い」と必ず書かれているそうだ。マスコミはこの事実を無視して薬の宣伝を無責任に垂れ流している。これはホテルによる偽装表示よりも遥かに悪質な犯罪行為だ。
 風邪を治す薬が無いこともよく分かった。現在行われている治療は総て対症療法であり不快な症状の緩和に過ぎない。最悪は解熱剤だ。勿論、解熱剤が必要な緊急事態もあり得るが、通常の風邪なら体温を下げることは、免疫機能を低下させ同時に病原菌を活性化させる利敵行為だ。こんな極悪の偽医療のために国民は健康保険料を負担させられている。
 学ぶことは知恵・知識を切り売りするためではなく、勿論、試験に合格するためでもない。まず100%確実に自分を守るために役立つ。こんな贅沢な楽しみは自由人にしかできないことかも知れない。