電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

『脳の中の小さな神々』

2004-10-27 23:17:13 | 自然・風物・科学
 とても刺激的なタイトルだが、これは茂木健一郎さんの本のタイトルだ。茂木健一郎・歌田明宏共著の『脳の中の小さな神々』(柏書房)は、今年の7月に出た本である。この本は、歌田明宏さんが聞き役となり、茂木さんが現代脳科学の最先端の問題をわかりやすく解説してくれる本だ。本当に分かり易い。そして、脳科学の知見に基づくいろいろな問題の見方、考え方も興味深い。引き込まれたまま、読み終わってしまった。

 ところで、脳科学の根本問題として、「同一性」の認識ということがあるそうだ。つまり、意識があるものをあるものと認識するのはどうしてかということだ。この点は、プログラミング言語の話を思い浮かべながら、興味深く思った。特に、オブジェクト指向の考え方がよく似ていることを扱っているように思う。プログラミング言語の実行環境というのは、プログラミング言語の作者の意識がモデルになっているはずだ。実行環境の中でのオブジェクトのあり方がこの問題と関係していそうな気がした。

 例えば、「見る」という行為は、私たちが目で、外界の何かを見ると言う形で理解される。向こうから車が走ってくるのが見えるとは、まさに向こうから車が走ってくるのを見ているのである。しかし、脳科学によれば、私たちは直接外界の車を見ているのではなく、外界の車は目を通して網膜にある刺激を与える。この刺激は、脳の神経細胞に対する入力となり、神経細胞が特定のパターンで活動する。この活動自体が視覚イメージである。この視覚イメージを私たちは見ていることになる。この「視覚イメージを見る」ということが、根本問題だという。

 脳科学が説明してきたのは、脳の中のある神経細胞の活動と、外界から入る刺激の「対応関係」だけである。そのような「対応関係」を通して脳の中で生み出された神経活動の一つ一つが、「私」にとって、どのようにして「赤」や「つやつや」や「リンゴの形」といったクオリアとして成立しているのか、というメカニズム自体を説明するわけではない。
 むずかしい言葉を使えば、私たちが「見る」という体験のなかにとらえている、さまざまな視覚的特徴の「同一性」自体を説明するわけではないのである。(P244)


 ここで「同一性」というのは、「私」のとっての「赤」は、いつでも同じ「赤」であるという意味だ。「私」の感じる「赤」と他人の「赤」は違うかもしれないが、「私」は同じと理解する。丁度、下手くそな字で書いてあっても、上手に書いてあっても同じ「赤」という漢字と理解するように同一だと見なすことである。さっきの神経細胞の活動パターンと今度の神経細胞の活動パターンは、なぜ同じだと理解されるかということだ。この同一性は、「私」が見ていてそう判断しているのである。この「私」が問題なのだ。「私」とは一種の「ホムンクルス」である。

 ホムンクルスという主観性の枠組みは、脳の前頭葉を中心とする神経細胞のあいだの関係性によって生み出される。そのようにして生み出されたホムンクルスが、自分自身の一部である神経細胞のあいだの関係性を、「あたかも外に出たように」眺めることで、そこに「つやつやとした赤いリンゴ」というイメージが生じる。どうやら、私たちの意識はそのようにして生み出されているようなのである。(P258)


 この同一性ということについて、私はオブジェクト指向プログラミングの「オブジェクトの同一性」ということを思い浮かべる。オブジェクトにはすべてIDがあり、そのIDを調べることにより、同一性が認識できる。例えばJavaであれば、JavaVMの中で、あるメソッドを使ってみればよい。この仕組みと、脳の中の同一性を支える仕組みが同じかどうかはわからないが、Javaの場合でいえばJavaVMというシステムが稼働していて初めて比較できることだ。つまり、まずオブジェクトが作られなければならない。作られたオブジェクトは、IDを持っており、それは動的に決まる。これと似ているような気がしないでもない。似ているのは当然で、コンピュータのほうが脳をマネしているからだ。

 「私」はこの宇宙全体を見渡す「神の視点」はもたないが、自分自身の一部をメタ認知し、自分の脳の中の神経細胞の活動を見渡す「小さな神の視点」はもっている。私たちの意識は、脳の中の神経細胞の活動に対する「小さな神の視点」として成立している。
 私たちの脳の中には、小さな神が棲んでいるのである。(P259)

 JavaのGC(ガベージコレクション)という概念は、JavaVMというシステムがオブジェクトを常に監視していて、誰からも参照されなくなったときにオブジェクトを破棄するという活動をさす。脳とコンピュータは全く別のものだが、コンピュータとは脳をモデルにして発展してきたものだということが、よくわかる。やっとここまで疑似化してきたのだというように考えるか、まだこんな状況だ考えるかはむずかしいところだ。私には、JavaやRubyにも小さな神が棲んでいるように思われる。

コメント
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