電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

親父の手術日が決まる

2004-10-19 21:47:15 | 日記・エッセイ・コラム
 18日と19日に岐阜県中津川市に行ってきた。仕事や友人に会うことも兼ねてスケジュールを組んだので、中津川市に行ったのは、正確には18日の夕方から19日の午前中ということになる。親父は中津川市民病院の内科に入院しており、内科の検査が一通り終わったところだった。胃カメラを飲んだり、小腸や大腸を内視鏡で調べたりで、かなりぐったりしたそうだが、私が行ったときは、元気だった。家にひとりでいるよりは、病院にいたほうが安心だ。

 内科の先生の話では、大腸以外はいたって健康で、いまなら手術に丁度良いという判断だった。入院してすぐの最初の大腸内視鏡検査の写真と最近のバリウム注腸検査の写真を見せられ、大腸の様子を説明してくれた。内視鏡写真では出血している様子がわかるし、バリウムによる画像を見ると、確かに盲腸から少し大腸に入ったところ(上行結腸)がかなり狭くなっているのがわかる。結腸癌であり、結腸の場合、切除する範囲が広くても術後の機能障害はあまり問題にならないということで、できれば早く手術したほうが良いという。

 本人に手術の話をしたそうだ。本人は大体内容を理解して手術をして欲しいと言っているようだが、とにかく、耳も遠いので、家族の人の同意が欲しいとのことだ。このことは、親父に確認した。「大腸に大きなポリープができており、そこから出血したり、詰まったりして、貧血や便秘などが起きており、さらにひどくなって行きそうなので、切った方が良いという話があり、是非手術してくれと言った」と親父は言う。癌とは言わないが、大体の病状は把握しているようだった。心臓や肺を鍛えるために吹いたり吸ったりするとボールがあがる器具を貰って試していた。

 手術は外科の管轄であり、そのための検査が今週あり、21日に最終的な打ち合わせをすることになった。当日は、中津川市にすんでいる次男と名古屋の三男とて立ち会って貰うことにした。特別何もなければ、手術日は、11月1日(月曜日)で、来週から外科の病棟に移動することになるそうだ。

 18日の夜は、ホテルの小料理屋で弟たちと夕食を食べながら、今後の予定を決めた。最終的には、手術が終わった段階でもう一度細部を詰めることにした。手術の前に、親父を昼間1日か2日家に連れて行き、家の整理をすることに決める。こちらのほうは、弟二人に任せた。こういうときは、埼玉に住んでいるのは不便だ。とりあえず、手術日の11月1日と11月15日に中津川に行き、一泊することを決める。後は、こまめに連絡を取り合うことにした。

 今朝は、名古屋に向かう前に、病院に寄り、親父を見舞う。親父の要望があったので、売店で新聞を買い、親父に渡す。眼鏡なしで新聞を読めるくらいだからかなり元気だ。補聴器の電池がなくなり使えないので、耳元で話さないとなかなか意思疎通が図れない。補聴器は、21日に弟が来るときに持ってくることになっている。1時間ほどいた。何となく寂しそうだったが、世話をする看護婦さんなどに東京にいる長男だと紹介してくれた。4人部屋だったが、患者さんと付き添いの人に挨拶してから、病院を出た。

 病院の正面玄関にあるバス停のほうに歩いていきながら、昔ここをひとりで歩いたときのことを思い出した。16年ほど前、母親が脳塞栓でこの病院に入院し、その見舞いに東京から駆けつけたことがあった。私が独身だった頃で、まだ元気だった母親が若い看護婦さんに、私を目の前にして、私の嫁さんにならないかどうか口説いたことがあった。その時の母親の声が、とてもリアルな感覚として甦ってきた。


コメント (2)
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