Junky Monologue

   ひとりよがりな趣味のお話し。

   JunkなものしかないJunkなブログでございます。

2度目のインドネシア

2019年12月30日 13時37分52秒 | 旅行
11月の末から12月の初めにかけて、ちょっとした私的なイベントのため7年ぶり2度目のインドネシアへ渡った。
前回はジャカルタに滞在しただけだったが、今回の目的地はジャカルタから東へ約300Km、西ジャワ州のはずれクニンガン。
列車で3時間半+車1時間半という距離感。

愚息の手配によりこんな豪勢な特別列車に乗ったり・・・。

日本からわざわざ駆けつけてくれたお客さんへのおもてなしだそうだ。
アテンダントが2名もついてお世話してくれたり(左下)

汚いジャカルタ市内はすっとばして車窓からの風景


途中の通過点には鉄ちゃん達の間で超有名なチカウムの廃車置き場も、
下の写真は1週間ほど前に火災が起こった跡とか・・・。


中継点のチレボンという駅とその周辺、ここで車に乗り換え。

そこそこの地方都市のようだが、ジャカルタのような汚さはない。

で、↓これが最終目的地。田園に囲まれた小ざっぱりとした集落だった。

いかにもジャワな風景が広がっている。なかなか美しい場所である。

近くのモスクの尖塔に三日月・・・いかにもイスラムっぽい。


で、これがとあるイベントの会場(前日準備中の様子)・・・これで何のイベントなのかたいがいバレバレですね。


肝心のイベント中の写真は・・・ってそれは内緒です(笑)。
それなりに盛大なイベントでありました。
相手方と地元の方々、日本からのお客さんに感謝です。


それはそうと7年ぶりのジャカルタで気づいたこと。
それは通りを走る車がみんな真新しく綺麗なこと、
乗り合いバスもピカピカになってもうドアを開け放して走ったりしていない冷房も効いてる。

あまり写真を撮らなかったのでいい写真がないけど、わずかな間に急速に発展してるのは間違ない。
街中にあった廃墟な建物も確実に少なくなっている(舗道は相変わらず凸凹だけど)。

早くも日本に追いつきつつあるのか・・・確かに色々まだまだな部分はありますが、
長く止まったままの日本のみなさんはもう少し危機感感じた方が良いとか悪いとか・・・。

もちろん、日本が作ったMRTJもちゃんと走ってます。



それにしても長距離列車を含め鉄道が遅延なくオンタイムで動いていたのが驚き。
かなり頑張ってらっしゃるのは間違いないようです。

仲良くなった現地の人に「以前に比べてジャカルタのカオスが薄くなってちょっと面白くなくなった」と言うと
「そりゃお前は外から来たからそう思うだけで住んでる身になってみろ」と言われてしまった、確かにおっしゃる通りです~っ!。
でもね、格差だとか福祉だとかいろいろ問題あるにしろ多様性とカオスは社会の活力の素であり包摂力の大きさだとも思うのよね。
ともかく日本のように息苦しい社会(そう思ってるのは私だけ?)にだけはなって欲しくないのよね。
これ以上はグダグダになっちゃうので、それはまた別の機会にって事にして、
今のところインドネシア現政権も多様性と寛容さを売りにしてはおりますが・・・、
はてさて、その持続性はいかに?。

エリザベス女王

2015年03月21日 00時02分50秒 | 旅行
出張で神戸に行った。
三宮からポートライナーで飛行場に向かう途中の駅で見かけてしまったクイーン・エリザベス。
もの珍しさに思わず途中下車して写真を。


しかし、すぐ側で見ると全然船に見えない・・・こりゃただのマンションのような・・・。
でも船尾はなんとなく昔の帆船のような風格も。

まぁ~、死ぬまでこれに乗ることはないでしょうけどね。

いつのまにやらもう今年も終わり。

2014年12月30日 18時09分53秒 | 旅行
人生も半分を過ぎてしまうと、出来ることは出来る内に、行きたい処へは行ける内に、という感覚が強くなります。
先々の環境変化がいったいどうなるのか?、まったく予測が出来ないので余計に強く思うのであります。
普通なら少しでも蓄えをとなるのかもしれませんが、享楽主義?の私にはとても出来ない考えでありました(爆!)。

そんなこんなで、先日休みを取って北海道に行った。
北海道と言っても、小樽と函館という超初心者コースなんですが。

まず、小樽に着いて真っ先に向かったのが、水族館のある祝津という場所。
計画としてはレンタカーを借りて積丹半島までひとっ走りという案もあったのだが、強行軍過ぎるのと予想以上に雪が深そうで断念。
代替案として小樽市内から近い天狗山という眺望のいい場所もあるそうだが、あいにくの天候で肝心の景色が期待できないためNG。
たどり着いた妥協点が祝津の展望台だったのだが、やっぱりそこも雪が・・・てっぺんに行き着く勇気が持てませんでした。
しかし、荒涼とした景色が大好きな私にはこういうのがたまりません。


あとは有名な運河倉庫街。それにしても中国系の団体客が多い。
なんてことない風景でもあるのだが、小樽という場所ならばこそって事でしょうか。
右下のは北海道で一番最初に敷設された鉄道線路の跡


で、小樽は早々に引き上げその日のうちに函館まで。
翌朝有名な朝市でいくら&うに丼(写真なし)を食べたあとに向かったのが戊辰戦争終結の地、五稜郭。
それにしても土方歳三って相当なイケメンやね~、もてたんやろね。なんてことを考えつつ雪の中、歩塁の上をブラブラ散歩。


左下の写真は函館名物「ラッキーピエロ」の土方歳三ホタテバーガー、何故「土方」の名を冠しているのかは突っ込み無用とか(笑)。
そのとなりもラッキーピエロ、コーヒーカップがデカイ!これを東南アジアサイズと言うとか言わないとか(笑)。


午後から雪も止んだので、立待岬に行ってみる。
途中、石川啄木の墓があったりする。市電に乗ると今時珍しい床が板貼り、ヒーターが超強力。
ヒーターのカバーに某超有名キャラクターが隠れてたり。




写真ではうまく撮れないけど函館山からの夜景は薄暮時が一番。
街明かりも良いのだが、夕日の残り日がほんの少し残る海峡側の景色が最高。


クリスマス前の時期だったこともあり、ライトアップが綺麗。


次の日は前の夜から降り出した雪で一面真っ白。

雪の中、SLのイベント列車で大沼公園に向かう。
それにしてもSLってなんで雪景色が良く似合うんでしょうかね、高倉健の映画のせい?


大沼公園はあいにくの天気で駒ケ岳が見えず・・・なんだか訳のわからぬ景色。
本来なら、下の2枚の写真の遠景に駒ケ岳の雄大な姿が見えたはずだったのに。

まぁ~しかし、それはそれで他ではなかなか見れない荒涼感がたまらない。


夏もいいけど、北海道は冬がいい。旅愁って言うんでしょうかね。
ずっと忘れていた何かを思い出せるような・・・。

だらだらと単に長いだけの記事になってしまったけど、
最後に皆様、良いお年をお迎えくださいね~。

G.W.なので・・・。

2014年04月29日 17時32分24秒 | 旅行
土日と祝日に挟まれた月曜日を急遽休みにすることが出来た。
それをカミさんに伝えると、カミさん得意の速攻直前割引安宿探し。
1泊2日で草津温泉に。


テレビなどで良く見る湯畑って恥ずかしながらなんのためのものか知らなかったですが、
湯温の調整池だったんですね。

ついでにほんのちょっと足を伸ばして、白根山の湯釜へ。

以前、夏に何度か訪れたことがある場所ではあるのだが、さすがに標高2000メートル。
たっぷり残ってる雪が、夏場とは一味違う荒涼感を演出して気持ち良い。

下の写真は志賀草津道路を挟んだ反対側にある湿原地で、
簡単な遊歩道があり、夏は珍しい高原植物を観察しつつ気持ちの良い散歩が出来るのだが、今の季節はまだこんな状態。
が、私的にはこんな景色が好きだったりする。


タイ/バンコクに行ってみた その3(バンコク市内編Vol.1)

2014年04月06日 16時36分12秒 | 旅行
バンコク旅行に行ってからまる3ヶ月過ぎてしまったが、
年明けから相変わらずの貧乏暇なし状態で、写真の整理もままならずで。

下の写真は宿泊したホテルの78階展望室からの市内の眺め。
上側の2枚は朝7時ごろ、下側の2枚は夜10時ごろの撮影
ぱっと見はとっても幻想的な景色で良いのだが朝の「もやもや」状態は河霧なのか、はたまたPM2.5なのか。
地上に出るといつかの上海ほどには空気の汚れを感じないのは東京の汚れた空気に慣れすぎてるせいか?。
夜はかなりスッキリしている。


バンコクと言えば、このチャオプラヤ河。
川幅の広さ、水量の多さ、流れのゆったり感がなんとも言えない雰囲気を醸している。


バンコク市内の観光ガイドに必ず出てるのがチャオプラヤ河畔にあるこの寺、ワットアルン。
中央の巨大な仏塔には登れるようになっていてバンコク市内の景色が見渡せます。
それにしても恐ろしいほど急な階段が・・・こんな階段を観光客に開放してるなんて日本では考えられないかも。


タイの寺院(もしかするとアジア全般?)はとにかく全体に施された細かな造形に驚かされる。
同じ仏教でありながらも日本のそれとは相当な世界観の違いがありそうな・・・。
たしかにこちらの方が本場に近いと言えば、そうなのだが。




そしてワットアルンのほぼ対岸に位置するバンコク市内最大の観光スポットがココ。
一般にただ王宮と呼ばれたりしているチャクリー宮殿、もちろん、王家の人達は別の宮殿に住んでるそうですが。


このチャクリー宮に隣接するというか一体となっている寺院、ワットプラケオ。
とにかくなにから何まで金ピカ!。金ピカ過ぎて遠目からはアミューズメントパークのように見えてしまうが、
全体のスケールを感じ取ったうえで、ディテールに目を向けた後、
もう一度全体を見渡してみると・・・おそらくは信仰の世界でしか成し得ないような労力とお金の集中度に唖然とするしかない。


本堂の中は撮影禁止なので、こんな写真ばかりになってしまうけど、
それにしても細かな装飾造形が建物全体に・・・いったいどれだけの労力が注がれているのか・・・。


で、やはり王室お抱え、しかも現役の仏教施設、こんな気の遠くなるような補修作業が・・・。


バンコク市内観光編、撮り溜めた写真はまだまだあるので、続きはまた次回に。

タイ/バンコクに行ってみた その2(カンチャナブリー 編)

2014年01月26日 16時59分25秒 | 旅行
カンチャナブリーと言っても馴染みの薄い名前だが、クワイ河(最近はクウェー河と表記するらしいが)鉄橋がある町(地域)の名称。
この地域唯一の観光資源が60年近い昔の戦争映画がもたらしたものだと思うと、ハリウッド映画の影響力には空恐ろしいものを感じる。
かく言う私も「戦場にかける橋」を知らなかったら、この橋どころか嘗て日本軍が建設を試みた泰緬鉄道の存在事自体知らなかったかも知れない。

泰緬鉄道はその建設にあたって6千名とも1万2千名とも言われる犠牲者(連合国捕虜と周辺国労働者)を出した事業であったが、
あの映画のおかげで今はご覧の通りトロッコ列車が走るのどかな観光地となっている。

トラスフェチの私としたことが、土手の下まで降りて鉄橋のトラス構造を接写しておくべきだったと後で後悔(笑)。

鉄橋に隣接して戦争博物館というのがあったのでちょっと入ってみた。
あまりたいした展示物はなかったが、当時の記録写真だけは興味深かった。

いろいろあるけど、日本人として「日本」という事象を考えるにあたって、
嘗て(もしかしたら今も?)我が国が置かれた(あるいは自らも作り出した)ギリギリ崖っぷちの状況と、
それが故の政治経済文化状況の貧困さと、更にそれが故の国際感覚の無さ(良くも悪しくも)をもう一度捉えなおした方が良い。


上の写真は時間の都合もありパスしてしまった連合軍犠牲者の共同墓地
ともかくあの戦争の犠牲となった全ての方々の冥福を祈らない訳には行かない。

下は、バンコクからの往復手段に利用した乗り合いバス(上側の2枚)と、カンチャナブリーの繁華街の様子。
乗り合いバスと言ってもただの大型ワンボックスで、座席を運転席含め5列配置としたもの。運転手の隣にも二人客が乗るので運転手除いてなんと計15人乗り!(2+3+3+3+4)。
窮屈さは否めないがエアコン付で乗ってみるとそれなりに快適、現地の人達が使う交通手段を利用するとなんとなくその場所の生活感を想像できて楽しい。

カンチャナブリーの街は始めての場所なのに何故かとても懐かしい感じがした。
名所、旧跡めぐりも良いが、こんな街を無目的にブラブラするのが意外に楽しい。

タイ/バンコクに行ってみた その1(アユタヤは異世界 編)

2014年01月13日 18時44分20秒 | 旅行
正月明け1月2日(木)発、1月7日(火)朝帰着にて、タイ/バンコク周辺に行って来た。
個人的にはせっかくのタイなら、プーケットとかサムイとかの超ビーチリゾートを目指したかったのだが、
ウチのカミさんはどうもビーチ嫌いで、一昨年のジャカルタ同様に街中観光となってしまったが、そこは世界の観光都市バンコク、飽きることなどあるはずがない。


今時、タイやバンコクなど珍しくもないという人も大勢いらっしゃるでしょうが
私にとってはそう頻繁には行けない海外観光でもあり、もの珍しさから写真だけはたくさん撮ってしまった。
まぁ~、暇な人だけお付き合いくださいまし。

ビーチ以外で今回のお目当てと言えば、やはり世界遺産のアユタヤ歴史公園。
バンコク市内からタイ国鉄に乗っておおよそ2時間半程度でアユタヤ駅に到着、
アユタヤはとにかくエリアが広いので、まず貸切タクシーを値段折衝。

実は今回、愚息(ジャカルタ在住)のSkyp友達(バンコク在住)がガイド役を引き受けてくれて、
タクシーはもちろんレストランなども含め、みやげ物の料金折衝まで全部やってくれたので大助かり。


↓まず、ワット・マハータート、ガイドブックに一番に出てる場所である。
 そんな訳で日本人の団体ツアー客が良く目立つ。
 団体ツアーはともかくとして、たまたまなのだろうけど、日本人のガイドの人って何故か態度が偉そうで、傍で聴こえる声にちょっとうんざりしてしまった。先輩風を吹かせたいんでしょうかね。
 (団体ツアーの際は日本人ガイドは出来れば避けましょう、日本語のわかる現地の人が良いですきっと。)



↓お次は、ワット・ラーチャブーラナ
 舌を噛みそうな名前が多くてとても覚えていられない、
 寺の名前は全部戻って来てからウィキペディアで調べている(笑)。

↑中央に聳える仏塔の中に入れるようになっていて、とても狭いがピラミッドの棺室のような場所があった(写真一番下)。
階段がつま先を引っ掛けるのがやっとの幅で、しかも梯子のように急傾斜であった。


↓3番目、ワット・チャイワッタナラーム

ココはエリアの外れに位置するのか観光客もあまり多くない。
しかし、個人的には一番荘厳壮麗な印象を受けた場所であった。
とにかく異世界感満載!、スケール感に圧倒される。
↓なのでもう一丁。


↓お次、ワット・タンミカラート
 遺跡でありながらココは現役のお寺であるらしい。
 現役のお寺には写真のようなカワイイ看板がある。


まだまだ続きます。
↓ワット・ローカヤスターラーム
 これもまたガイドブックで有名な場所。ココは寝仏以外は完全に破壊されてしまっている。

アユタヤ王朝は14世紀から18世紀中ごろまでの王朝だそうで、
16世紀の後半(日本なら戦国時代)と王朝の途絶えた18世紀の中頃にビルマからの大規模な侵攻を受け、現在遺跡となってしまっているのはその時にすかっり破壊されてしまったからという事だそうだ。
タイの人達の信仰深さを考慮に入れると、もしも生きたままの姿で残っていたとすればどんな凄い場所になっていたか想像の範囲を完全に超えてしまう。

↓ちょっと休憩という訳ではないけど、こんなお寺も
 名称は看板を撮り忘れたので不明。

まるでアミューズメントパーク、でもここは現役のお寺。現地の人達がたくさん参拝してました。
超リアルな人形で再現されているのは歴史的に著名なお坊さん達らしいが、勉強しないとどんなお坊さん達だったのかはまったく不明、でもちょっと気になったり。

↓やっと最後、ワット・プラシーサンペット

これも後で調べてみた事だが、ココはいわゆるお寺とはちょっと違うらしい。
歴代アユタヤ王朝のうちの3人の遺骨が納められているそうだ。
他所と比べて破壊の度合いがほんの少しだけ軽微なのか、レンガの構造体の上に塗られた漆喰が割合残っていて、当時の建築の様子が比較的わかり易い。

まぁ~、そんなこんなですが、
アユタヤは想像以上に広大で、想像以上のスケールで、事前に調べたりガイドブックで見たりしていたのと、まったく違っていたのだった。
やはり実際にその場所で見ないと伝わってこないものがあるという事を改めて認識した。
何といっても異世界な空気、雰囲気にすっかり魅了されたのであった。

新年明けました。

2013年01月06日 14時16分19秒 | 旅行
大晦日にカミさんが突然京都に宿泊が取れたと言い出し、
元日から2泊3日で京都に行って来た。
予算の都合上?なんと今回は鈍行乗り継ぎ青春18切符!



駅の外での休憩を含め10時間ほど、意外にも思ったより苦ではなかった。

京都は学生時代を含め4~5年住んでた事もあるので、特に珍しい場所もないのだが、
それが逆に作用するのか行って来たのは超メジャー初めての京都観光みたいな・・・(笑)。



平安神宮の人の多さにうんざりして庭園に入ってみるとここは意外に人が少ない。
でココの庭園↓実は知る人ぞ知る「鉄」な庭園なのです。



ホントにお初だったのは日没時の清水寺↓


昔はもちろんこんなライトアップはなかったので、新鮮でありました。

そんなこんなで今年は叶わぬ事とは知りつつも、
願わくば落ち着いたゆったりとした1年でありますように。

ジャカルタへ行った(その3)

2012年09月02日 02時37分09秒 | 旅行
ジャカルタは何かにつけて「ゆるい」。
釣り銭が間違ってても誰も怒鳴ったりしない。
そもそも釣り銭なんぞチップの一種だと思っている。
外国人だとわかればメーターを回さないタクシーも多く、ボッタくり料金を請求するのが普通の経済行為だと思っている。
加えて街中どこへ行っても汚い、臭い、時には危ない。
でもジャカルタには不思議な開放感がある。



2~3日滞在しただけで何がわかるというものでもないが、
1日慣れてしまうと釣り銭の間違いにクレームつけたり、過剰な清潔さを求めたり、正誤にこだわったり、白か黒かで争ったり、そんなことが実は病の一種ではないかと思えてくるから不思議だ。
もしかすると我々日本人は日本病を患っているのではないかと・・・。



事実、数年ジャカルタで生活すると日本に戻りたくないと思う人も少なからずいるようだ。
中国や韓国みたいな反日感情がまったくないというのも大きいだろうし、日本からジャカルタに赴任すると為替レートのマジックで日本では考えられない優雅な暮らしが出来る訳だが、それだけが理由とは思えない。
ジャカルタが居心地良くなる理由は少なからずこの「ゆるさ」にあるのだろうと思う。



少し話の方向が変わるが、ジャカルタ名物?のひとつに鉄道の線路の上にまで露店を開いて生活しているスラムの住人たちがいる。
電車が通る度に、露店を畳まなければならないので、あまりちゃんとした商売にはなっていないだろうし、おそらくは立ち退きに対する抗議の意で意地になってやっているとしか思えない。当然当局はそんな人達を排除しようとしているのだが、さほど強行な手段を行使しようとはしていないように見える。
当局側にも立ち退きに対する十分な保障費用の用意がないのかもしれないが、もしこれが中国だったら人民の名の元に殺してでも排除するかもしれない(比喩的に)と考えると、やっぱり基本が「ゆるい」のである。
残念なことに滞在期間がラマダン明けの連休中だったためスラムの露天商たちもお休みでこの目でその光景を見ることは出来なかった。
スラムの露天商も連休中はお休みっていうのもなんだか可笑しいのだが・・・それもやっぱり「ゆるさ」ってことか。



物乞いも路上の「押し売りもどき」もたいへん多い。
驚いたことに彼らの顧客は金を持った外国人観光客ではなく、地元の人達なのだった。
信号待ちで止まった車に押しかけてくる物売りに窓を明けて金を払っていたり、物乞いを疎ましがらず金銭を与えているのはなんと地元の人々なのだ。
旅行中我々が乗った電車にもいきなり物乞いが登場して驚いたのだが現地の人々の過半数が自らすすんで金銭を与えていた。
だからジャカルタの物乞いは堂々としている。営業上みすぼらしい姿(演出?)はしているが空き缶を前に置いてひれ伏しているほどの卑屈さはない。
その物乞いは電車賃をちゃんと払って乗りこんだのか、あるいは営業力?で駅員に顔パスしたかは知らないが(多分駅員も見て見ぬふりをしているのに違いない)、ここまで来ると「物乞いもちゃんとやればビジネスの内」だと思えてくる。

ほんとうは曖昧な態度が好きなくせに規範には厳格で一斉に右向け右の日本の社会とは根本的に違う何かをジャカルタという街は持っている。
インドネシアは基本的には多民族の国であり人工的には世界最大のイスラム教国でありつつもキリスト教も含め多様な宗教が存在しており、傍目にはマイノリティーな人達が色々と騒動を起こすにはちょうど良い?条件が多数揃っているように見えるのだが、目立った内紛?が東ティモールでの一件ぐらいというのは比較的穏やかな国と言えるのかもしれない。
たぶんに「ゆるさ」というものが社会の緩衝材になっているのだろう。「ゆるさ」はジャカルタの人々の生きる知恵なのだ。そして出会った範囲でジャカルタの人達は基本優しくとても人懐っこかった。

ジャカルタへ行った(その2)

2012年08月25日 16時27分25秒 | 旅行
ジャカルタの街中を歩くときは足元によく注意しないとトラップがたくさんある。
歩道にポッカリ大穴が・・・。


ジャカルタという街には観光名所と呼べる場所がほとんどない。
あえて無理やり上げるとこれ↓。

オランダ植民地時代に作られた跳ね橋。アルルの跳ね橋とは大違い。
旧市街のスラムっぽい場所にあり下の川はドブ川だしはっきり言って臭い。
ジャカルタの衛生状態をそのまま具現化している。


まぁ~こんな廃墟な場所も市内に点在している。右側はどう見ても建設中に放棄されたビル。クレーンまでそのまま放置されているのがジャカルタらしくて良い(?)。

市街地の光景(その2)

滞在した期間はラマダン明けの連休中(日本のお盆休みみたいなもの)だったため、街中は人も少なく一般の商店や市場もほとんどが閉まっていた。写真が閑散とした感じになっているのはそのせいだったりする。


下は有名なスラバヤ通りの骨董品屋街にあった中古レコードショップ。
どんなタイトルがあるのかじっくり見ればよかったのだが、アナログレコードを愛好する人も地元に居るのだなとちょっと嬉しくなる。それにしてもカセットテープの在庫が半端ない。


骨董品屋街そのものは上記の理由で大半はシャッターを降ろしていたが、↓こんなものを発見。



下はジャカルタ市の交通局が運営する路線バス、バスウェイと呼ばれている。

専用レーンを走るのである程度交通渋滞から開放されている。鉄道式のプラットフォームがあり切符を買ってから乗る。
写真だと綺麗に見えているのだが、さほど旧式なバスでもないのに実際はかなりボロボロで汚い。
下町を走るミニバス同様に音も相当うるさい。ただし冷房は完備している。
実は乗っていたバスが明らかにクラッチのトラブルとわかる故障で途中他のバスに乗り換えを余儀なくされた。なんとかギリギリバス停(プラットフォーム)まで辿り着けたから良かったものの、出入り口にはステップもなく元々がハイデッカータイプの長距離バスがベースになっており床の高さが路面から1.5メートル以上もあるため変な場所で止まっていたらどうなってたかと思うのだが、インドネシア人のことなので、後続のバスをそのまま横付けして乗客を移乗させたりしたのだろうか。それはそれで面白そうな光景であるが・・・。
とにかくインドネシアの人達はメンテナンスが大嫌いなのに違いない。
下はバスウェイのチケット。

運賃は1回乗車につき3500ルピア、日本円にするとおおよそ35円である。
現地の感覚として高いの安いのか?。


お次はジャカルタ郊外にあるインドネシア全土の名所旧跡を集めたようなテーマパーク。

何故か「なんちゃってシンデレラ城」が・・・。

で、↓その中にある交通博物館。

左上の写真、港の光景を模した池があったようなのだが水が抜けってしまっていてなんとも間の抜けた光景に。
でもともかく、珍しい機関車がいっぱい展示してあった。

動輪が5個もある機関車に、なんと珍しい路面機関車も。

↓更にダイハツミゼット!、やはりこれがトゥクトゥクの原型だったのだ。

下側の写真が今の街を走るトゥクトゥク。左がインドネシア国産で右のは新型でインド製らしい。
タイのトゥクトゥクのようなお洒落な雰囲気はまったくない。ボロくてうるさいのがジャカルタ流。

いろいろありますが、とりとめなくそんなこんなのジャカルタ旅行でした。


ジャカルタへ行った(その1)

2012年08月21日 22時22分36秒 | 旅行
先週金曜日(8/17)発、本日朝(8/21)帰着にてジャカルタへ行って来た。
仕事と関係のない観光目的では新婚旅行以来久しぶりの海外旅行であった。


まぁ、よくある東南アジア系大都市の風景である。
この手の写真を見ると急激な近代化とそれがもたらす格差社会の矛盾的な風景に見えてしまうのだが、
確かにそうした部分も否めないかもしれないが、本当は全てが右に習えで見た目にも超均質過ぎる日本の社会の方がまりに異様なのではないかと感じてしまう。
元々社会が不平等なものだとすれば、そこには見た目にもいろんな諸相があって当然なのだと思えてくる。
これからこの街もどんどん変わって行くだろうが、日本のような変わり方だけはして欲しくないと思う。


上の写真が地元のアッパークラスな人達が集まるショッピングモール、下がミドルクラスな人達のそれ。


これは庶民の足と言える乗り合いタクシーと乗り合いバス、右側がそれぞれの車内。
どちらも見た目はオンボロで冷房もない、音も超うるさい、が乗るとなかなか楽しいのがこの手の乗り物。
走ると風が入ってわりと涼しい。明けっ広げな国民性の象徴?なのか走っている時もドアは閉めない。
このバスにはバス停がなく手を上げればどこでも止まってくれて好きなところで降りることが出来る。
路線が複雑怪奇で案内人が同行してくれないとても乗れないのが玉にキズ。


で、やっぱり気になるのが食べ物。
ミドルクラスのレストランやファーストフード店から屋台までいろんな場所で食べたが、なにを食べても総じてうまい。
特にナシゴレンは見た目は似ていても東京で食べられるのとはまったく別もの。味わいの深さが全然違う。

インドネシアまで行って街中ばかりでバリ島にも行かないという変?な旅行だったが、
久々になかなか楽しい旅だった。