Junky Monologue

   ひとりよがりな趣味のお話し。

   JunkなものしかないJunkなブログでございます。

なかなか手強い10cmウッドコーン その2

2012年09月30日 22時15分35秒 | スピーカー
前回のダクト変更でフォステクスユニット使用機にはない良さをなんとか引き出すことが出来たものの、
ロックやジャズを聴いている分には何の不満も無くなったのだが、当初の目標は何といってもクラシック専用機。
やはりもうちょいとだけ上を目指さないといけない。



ってことで前回も触れたダクト径の調整。
あらかじめダクトに使っていたのがVP40(内径40mm)塩ビ管、これに共振周波数が大きく違わないように長さを調整した(つもりの)VP30(内径30mm)塩ビ管を差し込む。
VP30の外径は38mmなので100円ショップのフェルト生地を巻き付けてVP40管にねじ込むとちょうど良くなる。
ダクトが二重になったことで見た目もなんとなく意味あり気でちょびっとだけカッコ良くなった?。



肝心な音の方だが、なんとなく低域の解像度が良くなったような気もするが劇的というほどでもない。

確かにコントラバスのズリズリっとした感じが少し聴こえてはくる、しかし前回の空気をゆるがすというか迫り来るような重低音感は少しだけ遠のいてしまったようだ。
このあたりはどうしてもバーターになってしまうのか?、なんだか微妙な領域に入ってきたような・・・。
内部ダクトの径とそれぞれの長さももっと試してみなくてはならないが、どうもこの先は一進一退の繰り返しになりそうな予感もあったり。
とにかくここから先はゆっくり時間をかけて聴き込みながらやって行くのが肝心なところ。

なかなか手強い10cmウッドコーン

2012年09月23日 22時28分59秒 | スピーカー
前回のダクト変更で、割といい線まで来たには来たのだが、しばらく使ううちに気に入らない処が目立ってきてしまった。

やっと低域が十分に出てきたのはいいがやはり輪郭が甘く解像度が低い。
いったん解像度の低さが気になり始めると、どうも全帯域についても解像力不足が感じられる。
値段がうんと安いフォステクスのユニットを使った他の2台のスピーカーの方がこと解像力と分解能に関しては遥かに良い。
これじゃどうしようもないというか、せっかくの投資に意味がない。
がしかし、スピーカー作りは諦めてはダメなのだ。

・・・ってことで、ン?回目のダクト交換。
前回の交換で、周波数不明ながらなんとなく本当の共振点がわかってきたので、もう少しブラッシュアップを試みる。
前回の設定ではふたつの空気室のダクト長を同じにしたため、ふたつある外に向いたダクトの共振周波数がかなり近かったはずなので、今回はこれを少しズラしてみることにした。上側のダクトの共振周波数を少し上に上げ、下側のダクトはわずかに下げてみる。



ダクトの長さでたった3cm、共振周波数にするとほんの数Hz違うだけなのはずだが、音出ししてビックリ、前回までとは全然違う。
理屈で考えると共振周波数とは関係のない中高音に変化があるはずないのだが、どういう訳か中高音の抜けが良くなりくぐもり感がなくなって解像力がうんと良くなった。
ユニットの振動板背面にかかるプレッシャーに違いが出来るのだろうか?、ウッドコーン故の振動板の重さによるデリケートさなのか?、これがスピーカー作りの面白さと言えばそうなのだが、理由はさっぱりわからない。
それはともかく問題の低域についても多少シャープになって少しだけどゴリッとした感じが出てきたような気もする。
オーケストラのコントラバスの音色の違いが僅かながらわかるようになってきた。

ようやくこのユニットの肝に少しだけ近づいてきたような・・・けど、あともう少し・・・。
次はダクトの径を少し細くしてみるか?・・・ホームセンターでVP30塩ビ管を買ってこないと・・・。


10cmウッドコーン多重バスレフの続き

2012年09月04日 01時24分52秒 | スピーカー
前回の作成直後のダクト設定はとにかくおかしい。
50hzが聴こえにくく60hzが限界というのはユニットの素の性能なのでせっかく作った箱がなんの役にも立ってないに等しい。
予想の通りではあるが事前のシミュレーション計算がまったく違っているということだ。



ってことでダクトをとっ換えひっ換え何回も組み合わせを試すことに、あれからジャカルタに行ってた間を除く土日はヒアリングテストの繰り返し、こりゃもうビートたけしの数学番組のコマネチ大学状態(笑)。



何度か試すうちにビル・エバンスのWaltz for Debbyがなんとなく良さ気に聴こえてきたのでCDプレーヤーの演奏時間を睨みながらスイープ信号を流してみると、開始2秒目から微かに音が聞こえはじめる。
これは30hzあたりかもと思ううちに音がどんどん大きくなる。40hzあたりでは既に実用範囲の音量、50hzあたりからはすっかりフラットなレベルになった。



これでなんとかとりあえずは目標達成ということで、試しに今度はブルーノ・ワルターのブラームス交響曲3番を聴いてみると、おお~、コントラバスのメロディーラインがよくわかる。
それからはクラシックは無論のことロックやジャズも含めCDをとっ換えひっ換え試し聴き、割とオールマイティーにこなしてくれるが、もしかすると案外ロック向きのスピーカーかもしれない。



ちょっと心配していた打楽器の衝撃力も十分にある。しかしクラシックの場合は低域の解像力が少し気になる。
この解像力不足は外に向いたダクトの径を細くすればなんとかなるかもしれないと思いつつ、当面しばらくはこの状態で使ってみよう。
やっぱりとにかくローエンドが伸びて来ると実に気持ちがいい。



あとは100円ショップで買った焼き網でユニットガードを作る、見た目に拘りはいっさいなし(笑)。

ジャカルタへ行った(その3)

2012年09月02日 02時37分09秒 | 旅行
ジャカルタは何かにつけて「ゆるい」。
釣り銭が間違ってても誰も怒鳴ったりしない。
そもそも釣り銭なんぞチップの一種だと思っている。
外国人だとわかればメーターを回さないタクシーも多く、ボッタくり料金を請求するのが普通の経済行為だと思っている。
加えて街中どこへ行っても汚い、臭い、時には危ない。
でもジャカルタには不思議な開放感がある。



2~3日滞在しただけで何がわかるというものでもないが、
1日慣れてしまうと釣り銭の間違いにクレームつけたり、過剰な清潔さを求めたり、正誤にこだわったり、白か黒かで争ったり、そんなことが実は病の一種ではないかと思えてくるから不思議だ。
もしかすると我々日本人は日本病を患っているのではないかと・・・。



事実、数年ジャカルタで生活すると日本に戻りたくないと思う人も少なからずいるようだ。
中国や韓国みたいな反日感情がまったくないというのも大きいだろうし、日本からジャカルタに赴任すると為替レートのマジックで日本では考えられない優雅な暮らしが出来る訳だが、それだけが理由とは思えない。
ジャカルタが居心地良くなる理由は少なからずこの「ゆるさ」にあるのだろうと思う。



少し話の方向が変わるが、ジャカルタ名物?のひとつに鉄道の線路の上にまで露店を開いて生活しているスラムの住人たちがいる。
電車が通る度に、露店を畳まなければならないので、あまりちゃんとした商売にはなっていないだろうし、おそらくは立ち退きに対する抗議の意で意地になってやっているとしか思えない。当然当局はそんな人達を排除しようとしているのだが、さほど強行な手段を行使しようとはしていないように見える。
当局側にも立ち退きに対する十分な保障費用の用意がないのかもしれないが、もしこれが中国だったら人民の名の元に殺してでも排除するかもしれない(比喩的に)と考えると、やっぱり基本が「ゆるい」のである。
残念なことに滞在期間がラマダン明けの連休中だったためスラムの露天商たちもお休みでこの目でその光景を見ることは出来なかった。
スラムの露天商も連休中はお休みっていうのもなんだか可笑しいのだが・・・それもやっぱり「ゆるさ」ってことか。



物乞いも路上の「押し売りもどき」もたいへん多い。
驚いたことに彼らの顧客は金を持った外国人観光客ではなく、地元の人達なのだった。
信号待ちで止まった車に押しかけてくる物売りに窓を明けて金を払っていたり、物乞いを疎ましがらず金銭を与えているのはなんと地元の人々なのだ。
旅行中我々が乗った電車にもいきなり物乞いが登場して驚いたのだが現地の人々の過半数が自らすすんで金銭を与えていた。
だからジャカルタの物乞いは堂々としている。営業上みすぼらしい姿(演出?)はしているが空き缶を前に置いてひれ伏しているほどの卑屈さはない。
その物乞いは電車賃をちゃんと払って乗りこんだのか、あるいは営業力?で駅員に顔パスしたかは知らないが(多分駅員も見て見ぬふりをしているのに違いない)、ここまで来ると「物乞いもちゃんとやればビジネスの内」だと思えてくる。

ほんとうは曖昧な態度が好きなくせに規範には厳格で一斉に右向け右の日本の社会とは根本的に違う何かをジャカルタという街は持っている。
インドネシアは基本的には多民族の国であり人工的には世界最大のイスラム教国でありつつもキリスト教も含め多様な宗教が存在しており、傍目にはマイノリティーな人達が色々と騒動を起こすにはちょうど良い?条件が多数揃っているように見えるのだが、目立った内紛?が東ティモールでの一件ぐらいというのは比較的穏やかな国と言えるのかもしれない。
たぶんに「ゆるさ」というものが社会の緩衝材になっているのだろう。「ゆるさ」はジャカルタの人々の生きる知恵なのだ。そして出会った範囲でジャカルタの人達は基本優しくとても人懐っこかった。