連日報道されている 大津のいじめによる生徒の自殺問題 私も言いたい
これほどのいじめを受けて 自殺との因果関係は明らかでない?
あの学校長と 教育委員会の態度については 悲しくて腹立たしい
恐怖と絶望に追い込まれた 生徒の心境に立てば 無念としか言いようがない
強盗の論理があるが 遺書にも詳細は書けなくなるのが人の深層心理である
更には いじめた側が これは遊びの範囲であったと言う
言わせる親も親だが もう情けなさを通り越して 怒りの情が湧いてくる
私が 親ならぶん殴ってでも謝らせたい そして親として非を詫びる
他の学校でも 枚挙に暇が無い
人の痛さも苦しさも恐怖も 与える側には どんな罪を与えても分らない
いっそ上記の同じことを いじめた側に与えない限り 理解なんてありえない
いじめの数々を 連日 明らかにしているが これは犯罪だ
なんで学校内なら許されるのか 治外法権も甚だしい
表に出れば これは恐喝 暴行 窃盗 未必の故意による殺人ともなる
悪いことをすれば罰せられる
子供の頃から教えなくて なんになろう
自分の子供も殴れない親も多い 最も殴れる素養の親にもなっていない
旧約聖書に 眼には眼を と書いてある
他人を暴行したら 同じ暴行を加えて その痛み 罪を分らせるの意だろう
極論的には 私は これに近いものを支持する
あまりにも個人の人権が一人歩きして いじめた側の人権も云々される
何を言っているのか 自殺した生徒の人権の方が より高い
そして その犯罪に対しても その背景の社会が悪いんだと弁護する
ある日 突然に通り魔に襲われて死亡して 一瞬に家族も含めて不幸にする
普通の幸せな暮らしをしていて 何の因果関係も持っていない
それでも死刑にならず 時には 精神状態異常で 無罪のケースもある
刑務所に入りさえすれば 全てが許されるものでもない
本人は死亡 親兄弟も恋人も子供も この方達は死ぬまで重い十字架を負う
死刑さえ残虐であるというが 殺された側に残虐の言葉が無いのか
書いているうちに 益々 腹立たしくなってくる
少なくとも 学校教育の中で 先生も親も みんなが いじめ=犯罪である
この認識を持って それを無くす 努力と勇気を持って取り組んで欲しい
私も中学時代 先生のいじめで長期の登校拒否をして さ迷い歩いた
高校のときは 不良グループと対峙したこともある
自己防衛の為に 飛び出しナイフ(ヤッパ)も隠し持っていた
ある程度 立ち直りや毅然とした態度が取れて今がある
多くは いじめに屈するか 学校をやめるか 果ては自殺に追いやられる
この悲痛な声を受け止め いじめを未然に防止して欲しいと 心から思う
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