また あの日 広島 長崎の原爆投下 日本の敗戦の日である終戦記念日と続く
悲惨 残虐 空虚 哀しみ 招集されて消えて行った命 空襲で逃げ惑い犠牲となった夥しい命
いつまでも語り継ぎ 戦争や核などを無くし平和でありたいと願うのは 世界共通の人たちの願いだ
テレビをつけると これらの記録や 語り部の話 戦争や空襲の悲惨さが流れ眼を覆いたくなる
耳も塞ぎ もう観るのも聴くのも止めようと スイッチを切る
ボランティアやうたごえでは いつも元気で笑顔がなければ 相手に伝わらない
比較的 感受性に流されやすい私は 悲惨な話や家庭不和の不信など聴くとと自分がそこに入り易い
気持ちが落ち込んでしまいそうにさえなる なるべく明るい旅や歌の番組を好んでサスペンスも避ける
体調が少しでも落ちると これらの影響で心からの笑顔が少なくなりそうだ
歌番組でも戦争中のことが話され 菅原都々子 さんが 飫肥の特攻隊慰問の話をしていた
現地には特攻記念館があり 私も訪ねたことがある
そこには今にも出撃する若い方たちの親兄弟や恋人にあてた遺書が並び 言葉を失い佇んだ
死に行くいのち 国のために 自ら散華していく気持ちは如何ほどか
本音が書けない軍事態勢の中 必死に想いを伝えようとする文や文字が私たちに訴えている
菅原都々子さんは 月がとっても青いから 江の島エレジー などを歌い 作曲は彼女の父である
歌手は軍隊慰問で基地や時には戦地にも赴いて歌う
束の間の心の癒しや 歌手を通じて 祖国日本や家族の姿を重ねて聴いていただろう
飫肥の特攻基地へ行ったときのことを 涙をしながら語っていた
作曲は菅原都々子さんのお父様 因みに 月がとっても青いから も同じ
始まる前に部隊長から 私の子どもみたいな若い隊員を 国のために出撃命令をしなければならない
そして 時間が来たら歌っている途中でも挙手の礼をして この場から出て行くので承知して欲しいと・・
急ごしらえのステージの最前列に3人の隊員が座って聴いていた
90歳を超えた今でも その隊員の顔が消えることなく眼に浮かび 死に行くいのちに心で手を合わす
3人3様のわずかな時間の光景であった 一人は落ち着かなく席で身体を絶え間なく動く
一人はじっとうつむいて動かない 一人はにこにこと ステージを見ていたそうである
生きている時間はあと少し その胸中は計り知れぬものがある
やがて歌っている途中で 合図かあり 三人は立ちあがって 彼女に敬礼をして出て行った
自分の子どもの様な歳である 必死に哀しみをこらえて歌い切ったが 今でも涙が出てしようが無い
爆弾抱えて体当たりをするのが特攻機 しかし それ以前に撃ち落され撃墜される虚しい命
赤紙一枚で招集されて戦地に消えた命 みんな国のために 自分を超えて行ったのだ
靖国で会おうと突撃したり 天皇陛下万歳と乱れ来る砲火の犠牲になった方たち 遺骨さえ戻らない
せめて 国の代表者が靖国神社で不戦の誓いと 鎮魂の言葉を捧げて貰いたいものである
誰がそれを軍事国家復活の象徴と見るのか 右翼も左翼も無い 戦争の犠牲者の鎮魂を願うばかりだ
胸のもやもや ここに吐露して 明日のボランティアが笑顔で行けるようにしたいと記した
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