のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

雨の夜秘かに開く花妖し

2017年08月07日 20時34分10秒 | うたごえ

昼間は台風の影響で 黒い雲などが流れが速い 時折晴れ間も見える変わりやすい天気だった

うたごえの会場 亀戸文化センターの来年2月分の使用料を支払いに行った 来年2月!

同じく 本所地域プラザでの下町のうたごえ宣伝チラシを 東向島・生涯教育センターに届けた

 

いつの間にか 亀戸駅に隣接するビルに 私の大好きな コメダ珈琲店が出来ている

迷わず モーニングを注文 珈琲 パン ゆで卵セットで 420円 新聞読みながら至福のひと時である

あの愛知万博で 10回程度 ツアー添乗した時に 会場近くにあった コメダ珈琲に毎回通ったものだ

 

 

さて ドラゴンフルーツ いつ咲くか 気になって朝夕 見つめていた

月下美人のように 不思議に夜咲く花である

朝も昼も 膨らんではいるが 咲いていなかった

 

 

夕方 風も強くなって 折れてしまわないよう ひもで固定した

そして 先ほど 午後7時ごろになって 花が開いた

薄暗いから白く見える 実際は黄色味がかつて居るのだが 妖しく美しい

 

 

待ち望んでいた花 手のひらに包むように咲いていたのが だんだん拡がって行く

直径10センチくらいはあろうか 周りに葉を広げて 神秘的だ

明日の朝は もしかしたら 花弁はぐったりと萎れて行くのだろうか 

 

 

 ブログランキングに参加しています

                    ご支援に下のボタンをクリックして頂ければ励みになります 

 にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ

  にほんブログ村

  コメントは伝言コーナーへもどうぞ!

 (メルアドは入力しなくてもOKです)

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特攻の哀しみ永遠(とわ)に天と地と

2017年08月07日 07時59分10秒 | うたごえ

また あの日 広島 長崎の原爆投下 日本の敗戦の日である終戦記念日と続く

悲惨 残虐 空虚 哀しみ 招集されて消えて行った命 空襲で逃げ惑い犠牲となった夥しい命

いつまでも語り継ぎ 戦争や核などを無くし平和でありたいと願うのは 世界共通の人たちの願いだ

 

テレビをつけると これらの記録や 語り部の話 戦争や空襲の悲惨さが流れ眼を覆いたくなる

耳も塞ぎ もう観るのも聴くのも止めようと スイッチを切る

ボランティアやうたごえでは いつも元気で笑顔がなければ 相手に伝わらない

 

比較的 感受性に流されやすい私は 悲惨な話や家庭不和の不信など聴くとと自分がそこに入り易い

気持ちが落ち込んでしまいそうにさえなる なるべく明るい旅や歌の番組を好んでサスペンスも避ける

体調が少しでも落ちると これらの影響で心からの笑顔が少なくなりそうだ

 

歌番組でも戦争中のことが話され 菅原都々子 さんが 飫肥の特攻隊慰問の話をしていた

現地には特攻記念館があり 私も訪ねたことがある

そこには今にも出撃する若い方たちの親兄弟や恋人にあてた遺書が並び 言葉を失い佇んだ

 

死に行くいのち 国のために 自ら散華していく気持ちは如何ほどか

本音が書けない軍事態勢の中 必死に想いを伝えようとする文や文字が私たちに訴えている

菅原都々子さんは 月がとっても青いから 江の島エレジー などを歌い 作曲は彼女の父である

 

 

歌手は軍隊慰問で基地や時には戦地にも赴いて歌う

束の間の心の癒しや 歌手を通じて 祖国日本や家族の姿を重ねて聴いていただろう

飫肥の特攻基地へ行ったときのことを 涙をしながら語っていた

 

作曲は菅原都々子さんのお父様 因みに 月がとっても青いから も同じ

 

始まる前に部隊長から 私の子どもみたいな若い隊員を 国のために出撃命令をしなければならない

そして 時間が来たら歌っている途中でも挙手の礼をして この場から出て行くので承知して欲しいと・・

急ごしらえのステージの最前列に3人の隊員が座って聴いていた

 

 

90歳を超えた今でも その隊員の顔が消えることなく眼に浮かび 死に行くいのちに心で手を合わす

3人3様のわずかな時間の光景であった 一人は落ち着かなく席で身体を絶え間なく動く

一人はじっとうつむいて動かない 一人はにこにこと ステージを見ていたそうである

 

生きている時間はあと少し その胸中は計り知れぬものがある

やがて歌っている途中で 合図かあり 三人は立ちあがって 彼女に敬礼をして出て行った

自分の子どもの様な歳である 必死に哀しみをこらえて歌い切ったが 今でも涙が出てしようが無い

 

 

爆弾抱えて体当たりをするのが特攻機 しかし それ以前に撃ち落され撃墜される虚しい命

赤紙一枚で招集されて戦地に消えた命 みんな国のために 自分を超えて行ったのだ

靖国で会おうと突撃したり 天皇陛下万歳と乱れ来る砲火の犠牲になった方たち 遺骨さえ戻らない

 

 

せめて 国の代表者が靖国神社で不戦の誓いと 鎮魂の言葉を捧げて貰いたいものである

誰がそれを軍事国家復活の象徴と見るのか 右翼も左翼も無い 戦争の犠牲者の鎮魂を願うばかりだ

胸のもやもや ここに吐露して 明日のボランティアが笑顔で行けるようにしたいと記した

 

 ブログランキングに参加しています

                    ご支援に下のボタンをクリックして頂ければ励みになります 

 にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ

  にほんブログ村

  コメントは伝言コーナーへもどうぞ!

 (メルアドは入力しなくてもOKです)

コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする