ゾウガメが動物園から脱走して 10日も見つからない ついには懸賞金がつけられた
何気なく見ていたワイドショー 懐かしい地名が出ていた 岡山県の渋川海岸!
四国連絡橋が出来て廃止された 宇野から高松を結ぶ宇高連絡船が岬の向こうを走る
50万円に魅せられて県内外から多くの人が捜索に加わる 私も近くなら行くかな?(笑)
そして 動物園から100mくらいの林の中に居るところを発見された
盗まれたり殺されていなかったことが何よりである
先般海で溺れたこと書いたが ボートのカップルに助けられいのちを救われたあの海岸
私が18歳のころだろうか 海岸から100m位の所に私の長姉が義兄と暮らしていた
何度か1週間くらい 定時制高校と町工場も休んで ここにきて旅の拠点にした
連絡船で高松 屋島へ行ったり バスで倉敷 鷲羽山 下津井などへも行く
溺れたのは そんなある日 岬の方へ流れる海流に巻き込まれてしまったのだ
この海岸に接して 林の中に動物園や水族館が当時からあった
何日も居ることは無いけれど 売店の若い女性と話が弾んだ
住所を聴かれ教えたら間もなく写真が入った手紙が来た いわゆるペンフレンド志望
写真が水着! 純情な私には刺激が強すぎる 返事は出さなかった 出せなかった
この頃は 沖縄の石垣島の女性とは ペンフレンドになり4.5年ばかり続けていた
まだ米軍管理下・外国扱い 琉球政府であり 行くならパスポートも必要である
手紙は 必ず検閲 下部が切り取られ シールが貼られてかなりの日数を経て届く
こちらは写真も添えられたが 彫の深い可愛い女性 高卒で沖縄本島に渡った
会いたい気持ちはあるが 町工場の給料 当時は外国なんて誰も行かない時勢だ
琉球の人形が送られてきた あの髪型の中に小さな剣を忍ばせているもの
因みに仕事で沖縄へ行ったときなど 同じ琉球人形を探したがどこにも無かった
私の結婚までにはドラマがあるが それを機に文通は止めて想い出はみんな燃やした
長姉が次に暮らしたのは岡山市内 後楽園にも近い旭川のすぐ傍だった
姉は胃が痛いと病院へ行った まだ50歳前後 末期の胃がんで手遅れだった
母が病院へ付き添い 死ぬ間際にはスイカが食べたいと微かに言ったそうである
母は必死になって市内を走り回ったが 現在のようにいつでも売られている訳では無い
ようやくあるデパートで見つけ 食べさすと言うより その汁を少し含ませただけである
その後 数時間で姉は亡くなった 私も旭川の堤防で涙をぬぐった
姉の子どもは4人 中学生の男と 小学生の女の子3人を残して逝った
子どもたちは そんな姉の姿を見て心に決めたのか やがて姪二人は看護婦となった
もう一人の姪は 高校の数学教師となったが30代で 白血病になり亡くなる
一番上の男の子は 組織や 会社員になるのは嫌だと勉強ばかり
大学卒業後も大学院に残って研究を続ける がん研や米国にも留学したよう
何を研究しているのかと聞くと 遺伝子だと言う 今なら誰でも知っている遺伝子
成功したらノーベル賞ものだよと笑っていたが 大丈夫かなと思う程度だった
その後 医学博士になり IPSの山中教授も知っていると言う
この遺伝子が大きく世界で約に立つことも実証され始め 更に期待は深まる
岡山は ふるさとではないが 姉の想い出に包まれた地でもある
添乗員になり 岡山の後楽園や渋川海岸の前も通ったり 鷲羽山も行った
その前を通るたび 私だけは ああ この辺に住んでいたと 想い出をめぐらす
ゾウガメくん 私に想い出を蘇らせてくれて有難う 無事で良かったね
10月初旬の気温 あじさいが咲いていた
さて 今日は下町のうたごえ 本所地域プラザである
雨も日中は止んで もしかしたら ほんの少し陽射しもあるようだ
皆さんの素敵な歌声の中心で ピアノ伴奏を楽しんで来よう
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