奈良の地に棲む。。。と平城京は当り前しかし~『平安京』となると、うとい。。
本日は京都市埋蔵文化財研究所◇鈴木久男氏による『平安京発掘30年』のテ~マで
講演あった~(写真人物)
氏は卒業と同時に前身の研究所に通い、平安京発掘に全てを掛けて来た
元々…桂川⇔鴨川に囲まれた領域で形成され、大きさ5km四方と言われる。。。
南北は一条大路~九条大路の間、高低差は実に30mに及ぶ、なが~い勾配らしい。
(東寺のテッペンと一条大路は同じ高さ)
平城京と異なり肝心な《大極殿》は見付かずただ豊楽殿の基壇は盛り上がり有!
貴族の住む宅地は大内裏に近い右京北部を除いて左京に設けられ、藤原氏のような
上流貴族の宅地が左京北部へ密集する一方、貧しい人々は平安京の東限を越え
て鴨川の川べりに住み始め、鴨川東岸には寺院や別荘が建設されて市街地がさらに
東に広げられる傾向が生じた…と。
氏曰く。。現場育ちの講演故に、発掘した土器-木簡等を中心に話しが進められた。
特にユニ~クだったのは、9世紀に於いて◇後手の人形◇(写真左上)が見付かった
のは意外だった。。。要は古今東西 罪人の後手は昔も今も変らないらしい!!
本日は京都市埋蔵文化財研究所◇鈴木久男氏による『平安京発掘30年』のテ~マで
講演あった~(写真人物)
氏は卒業と同時に前身の研究所に通い、平安京発掘に全てを掛けて来た
元々…桂川⇔鴨川に囲まれた領域で形成され、大きさ5km四方と言われる。。。
南北は一条大路~九条大路の間、高低差は実に30mに及ぶ、なが~い勾配らしい。
(東寺のテッペンと一条大路は同じ高さ)
平城京と異なり肝心な《大極殿》は見付かずただ豊楽殿の基壇は盛り上がり有!
貴族の住む宅地は大内裏に近い右京北部を除いて左京に設けられ、藤原氏のような
上流貴族の宅地が左京北部へ密集する一方、貧しい人々は平安京の東限を越え
て鴨川の川べりに住み始め、鴨川東岸には寺院や別荘が建設されて市街地がさらに
東に広げられる傾向が生じた…と。
氏曰く。。現場育ちの講演故に、発掘した土器-木簡等を中心に話しが進められた。
特にユニ~クだったのは、9世紀に於いて◇後手の人形◇(写真左上)が見付かった
のは意外だった。。。要は古今東西 罪人の後手は昔も今も変らないらしい!!