24日は、タイムアウトで新川左岸の「新川まるごと博物館」まで行かなかったので、10月1日、再度「西川ふれあいロード」から槇尾大橋渡って、「新川まるごと博物館」へ行ってみた。
この日は、旧「国道116号」・現「西大通り」を進み、大学南へ。
新潟大学五十嵐キャンパスの正門前を左折。坂を下り、越後線の踏切越えたところから。中央左に西川。
坂を下って、県道16号を渡り、「西川ふれあいロード」へ入る。
少し走ると
彼岸花が。こんなところに咲いてたかぁ。僕は、今年初物。
因みに。ヒガンバナ繋がりで。先月中旬に撮影したままお蔵入り寸前だったナツズイセンを。初めて見た。まさに「おまん、誰じゃ?」
キツネノカミソリより、やや花弁の横幅がある、のかな?ともにヒガンバナ科。ヒガンバナより早く咲く。
さて、「ふれあいロード」に戻る。あの階段から遊歩道は川べりに降りるが、自転車は直進。
あちこちにポツポツだが咲いている。
槇尾大橋を渡ってすぐ曲がれると思っていたが、狭くて急で降りられない。仕方なくホンダカーズとファミマの間を右折し、ぐるっと回って新川沿いに出る場所を見つけた。
あれが西川の鉄橋。
「新川まるごと博物館」💦
「水と土の芸術祭」の時には、この木組を覆う綺麗な造形物があったようなんだが(あやふや)、今はこれだけ。
では、なぜ新川が掘られたのかのおさらい。以下3枚は写真と文字がオーバーラップしてるので、そのつもりで見て。
展示の一部。ぜひ、現地へ。
さて、鉄橋の近くへ行ってみようと振り返ると、左から右に青い宝石が飛んできた!カワセミ。こんな所で逢えるなんて。カメラ間に合わず。
鉄橋の手前に水門。西川と新川が直に繫がる場所。西川が溢れそうな時、開けるんだろう。
西川の上流方向に向かって歩く。槇尾大橋の次の西川橋。
アオサギが3羽飛び立った。
下流方向を振り返る。
戻って、水門の脇の歩道を渡る。
水門が若干開けられているのか、壊れて漏れているのか?西川の水が少し流れ出ている。
まだまだ知らない新潟の歴史がそこにあった。
新川河口には新川漁港が整備され、堤防には太公望達が集まっている。
下流側の農林省橋を渡って、ウオロク内野店の駐車場抜けて帰路へ。
再び、ふれあいロードへ。西川右岸にも彼岸花。
この後、次の橋を左岸に渡れば良かったのだが、直進したら川沿いに行けなくなった。
どこかでまた出られるだろうと思いながら日帰り温泉施設に突き当たる。川の方向に進んだが、個人の土地に入りそうで引き返し、日本文理高校に突き当たり左折。日本文理は、甲子園で中京大中京相手に9回2アウトランナー無しの場面で、4対10から9対10まで猛追した、あの高校。覚えてる?
また左折して進み、ようやく、きょうの「西川ふれあいロード」の起点に戻った。
終
もしや世紀の大逆転?を期待した一戦でした。
相手のエースは広島にいる堂林。
一方、日本文理の中心は当時2年生ながら捕手で中軸を打っていいた高橋選手。
彼はその後明治大学に進学。実は明治は私の母校です。
大学野球部での活躍も期待されたんですが、1年下に今阪神にいる坂本捕手が入学して活躍することはできませんでしたが4年時には補欠ながら主将も任され人望厚い選手だったと記憶しています。
スイマセン。せっかく力を入れられた新川ネタから脱線したコメントになりました。
このネタは、文理高校に突き当たった時点で、ぶっこもうと思っていたので、反応していただいてありがたいです。
あの時、同点に追いついていたら、その後の展開は?
想像力を掻き立てられる試合でした。
明日の日曜日は、新潟も晴れそうです。
いいブログネタがあるといいんですが。