かつて西蒲原には、大潟・田潟・鎧潟の三潟があり、早通川を通じて西川に流れていた。西川、中ノ口川に挟まれた三潟は、雨が降ると水が行き場がなく、悪水(湛水被害)となった。これを解決するため天井川の西川の下に排水路を作り、悪水を日本海に流す壮大な計画を立てた。
こうして昭和41年、干拓事業は完了し、鎧潟は、今は地名だけが残る広大な水田地帯となった。
田圃の間の水路には、潟湖時代の水生植物の生き残りを見ることができるそうだ。
天野 尚 氏は、鎧潟を愛し、
田植え前や直後の鎧潟の写真を残している。
ほんとは、同じような時間帯に行ってみたいところだが、なかなかこの時期の夕暮れの時間帯ってのんびり写真撮ってらんないので、稲の穂が実ってきた8月の鎧潟へ。
まずは土地改良記念碑の処から出発し、新川沿いに西川との交差地点まで辿った。
土地改良記念碑から、田圃の間を縫うように、鎧潟排水機場へ。
背景は弥彦山
右に尾根伝いに角田山
18mmでは、天野氏のような画角の写真は撮れない。
背後もず~と田圃
近年、この辺りが水害にあったなどという話は記憶にない。(知らないだけかも)。干拓事業は見事に成功している。
台風10号はどうだろう?何年も、新潟市は台風の影響を受けていない。
鎧潟排水機場手前に鎧潟干拓記念碑があった。
これでもかと言わんばかりに多くの碑が置かれている。
魚魂の碑
「技術の進歩を促すもの それは大衆が求める新しい幸福の充足である 鎧潟の干拓は成った 天保三年ころ 巻村ほか九か村開墾請願の公儀約定書にも 遠藤村始め三潟周辺村々魚鳥蓮根蓮肉等三潟内産業の儀はこれまでどおりとする とある 幾百年の昔この地に土着した我々の祖先及びその子々孫々は この鎧潟と共に生き 半農半漁の営みを続け 血と汗と骨とをこの土に埋めた 春耕の労がいたずらに多くて 秋収の喜びのない幾百星霜の生計は漁業によってささえられた そこに結ばれた先人の夢は 安んじて耕せる農地の追求であった 鎧潟よ 田んぼになれの叫びであった この土地で生をうけ この鎧潟とともに生きた心ある人々は長い年月この夢の実現に生魂を傾け尽した 技術の進歩とともに ついにその時は来た 大自然は改造された 鎧潟の魚鳥と湖水は歴史の一ページに跡をとどめて 永遠にその姿を消した ここに祖先以来我等をはぐくんでくれた魚鳥と湖水に無限の感謝を捧げるとともに 魚魂よ とこしえに安かれと祈る
歴史は人を生む 人は歴史をつくる 先人の血と汗の苦闘の跡を偲び 大自然の恵みを喜び 温故知新 後人の繁栄のためにここに解散する鎧潟漁業協同組合全員の名を石碑に刻んで後世に伝へる」(石碑記載のとおり)
歴史は人を生む 人は歴史をつくる 先人の血と汗の苦闘の跡を偲び 大自然の恵みを喜び 温故知新 後人の繁栄のためにここに解散する鎧潟漁業協同組合全員の名を石碑に刻んで後世に伝へる」(石碑記載のとおり)
この辺りまで来て、ふと、ここからも妙高山が見えそうだな、と気づく。
カシミール3Dで検証。碑の置かれた場所から。
焼山が隠れるので東に600mほど移動。大通川の近くから。
(倍率は違いますよ。念のため。)
記念碑を出て、北上。
飛落川を小さな橋で渡り、川沿いに鎧潟排水機場へ。
ここまでが、旧鎧潟。掘り直された大通川と飛落川に水を流し、間の土地に入り込む余剰な水を遮断。新川として、日本海へと、水が排出される。
ここから、すぐ新川沿いには出られないので田圃の間を通って新川土手へ。
べんてんばし
まっすぐは大通川。中央右奥から飛落川の水が排水機場を通って合わさる。
下流方向 新川
がいこばし
日にちは違うが、がいこ橋上から下流方向。正面は五頭山塊。
正面、右は菅名山塊
振り返ると一般車両通行禁止だって。来た方向には案内板無かったがなぁ??
次いで、ぼうぼうおおはし。
ぼうぼう。
茫茫。
果てしなく広々としているさま。
どこまでも続く、広大な水田の様子をぼうぼうと表現しているのだろう。
ただ、この場所より、もっと茫茫とした広がりを実感できる場所があるよなぁ。
橋の上で蛇が。熱中症かも。(笑)
はざ木も。
たがたばし
そうそう、田潟の左、「たぶの木」。美味しい珈琲が頂ける。
以前お邪魔した時に、越後山脈の一大パノラマ写真(店長撮影)が飾ってあったが、まだ飾ってあるのかなぁ?
田潟排水機場は工事中。
上流方向。
大潟
仲新橋
上流方向
下流方向
すぐ近くの新潟東西道路の高山ICを越えれば、西川との交差点はもうすぐ。
終
景色が凄くいいです。
特に田園が、、
緑は目に良いといいますしね
蛇と言うと最近、私も見ました
数十年ぶりに
苦手なのでキャーみたいな、、、
蜘蛛の模様がぁ、、、、
蜘蛛は苦手ですが、
蜘蛛が家にいると虫がいなくなると言うので、
何もしないけど、つい見た目で殺しちゃう自分がいます。
コメントありがとうございます。
茫茫とした田園地帯。これぞ越後平野、ってところでしょう。
僕も、蜘蛛も蛇も、勿論苦手です。
死んでいるのが明らなので、「これは安全」と写真を撮りましたが、もしも尻尾がピクリとでも動いたら、それこそキャーと飛びのいたでしょう
蜘蛛はこれからが大変な季節ですね。朝、海岸松林などを歩くと、幾重にも張られた蜘蛛の巣に辟易します。地方によっては、相撲を取らせるために女郎蜘蛛を飼っている所もありますが、失礼ながら理解不能な文化です。