フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

空気を読むということ

2009年06月13日 10時38分09秒 | 社会・政治・思想哲学

 KYというJKの隠語がある。
 どの分野においても隠語というのがある。隠語は、自分たちのグループ内だけで通用する独自のコニュニケーション言語である。
 他を排除し、自分たちのグループの団結力を高める効果がある。
 JK=女子高生は隠語を使うことによって自分たちのグループの団結力を強め、大人の世界や他のグループを排除する。

 ここで言いたかったのは隠語のことではない。「空気を読む」ということである。

 この「空気」について考えてみる。

 ドアをガラっと開けて教室に入る。
 金八先生が一人の生徒に熱弁を振るっている。周りの人間はみんな泣いている。
 わけも分からず完全に場違いなところに入ってきたようだ。
 金八先生の足元に自分の財布を転がっている。
 どうするか?

 
 「空気」とは、その場の雰囲気も含まれるが、それだけではない。
 過去の状況からどのようにして今に至ったのか、そして、その状況がどのように流れていくのかの、その一連の流れのことである。文脈と言い換えてもいい。
 私たちは、今どのように振舞えばいいのかを、瞬時に考え行動する。
 これができない人が、KYといわれる。 

 空気を読む」とは、文脈を把握する能力である。
 
 羽生さんが将棋の次の手の読み方について語っていた。みんなは、かなり先まで読んでから次の一手を決めていると思っているが、それは誤解である。まず、この手だとひらめく。その後になってその手でいいのか確認するのだ、と。
 そのひらめきは、単なる勘ではなく、過去の戦い中で培ってきた経験があってこそ生まれてくる。脳は超高速で回転している。

 空気を読むということにも同じことがいえる。
 過去の経験から今どうすればいいかを瞬時に決定するわけだ。
 だから、経験が豊富なほど、その場の空気が読める。

 
 また、空気を読むだけではなく、
場の空気を支配し、自分の思ったように流れを変えていく人もいる。それにはたくさんの経験と強い意志が必要である。
 人の作った空気をうまく読むだけでは、文脈依存になり、人に利用される。
 読めることを前提として、自分で空気を作り出していかなくてはならない。

 それができないならKYでいることも、ひとつの方法だろう。 

 


 

コメント
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