フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

火を熾す ジャック・ロンドン 

2010年08月25日 22時03分31秒 | 読書・書籍

 ジャック・ロンドンの短編集に出てくる物語には、どれもピリッとした緊張感がある。
 死んでいく情景を描くことで生へのあきらめや執着を、一時的な勝利を描くことでいつか不可避的に負けてしまうであろう人生の深遠を、負けることを描くことで自分が負かしてきた過去の人々の哀しみを、映し出す。
 
 その中の1つ、「生の掟」についてスポットと当ててみる。
 この短編は、インディアンの部族の長老が老いてしまい、一族の頭である息子に遺棄される話である。
 皆食べるものが無くて飢えている。ゆえに老人を養っていく余裕がない。そこで長老は置いてけぼりにされる。
 いわゆる日本でいう「姥捨て」である。 

 これを読んだとき、こういう死に方も悪くないなぁと思った。なぜか分からないが。
 
 そのシーンを少し抜粋してみる。

 

    「お父さまは、よいか?」と息子は訊いた。

そして老人は「よい」と答えた。

「横に薪がある」と年下の男はさらに言った。「火は明るく燃える。朝は灰色で、寒さがやってきた。じきに雪が降る。もう降り出している」

「ああ、いまも降っている」

「皆は急いでいる。荷は重く、腹は馳走を欠いてぺしゃんっこだ。道は長く、皆は先を急ぐ。俺ももう行く。よいか?」

「よい。わしは茎にかろうじてしがみついた去年の葉っぱのようなもの。息ほどの風が吹いたとたんに落ちてしまう。声は老いた女のようになった。目はもはや足の行く先を見せてくれず、足は重く、わしは疲れている。よい」
 
 満ち足りた思いで、頭を垂れた。雪がぐずる音がすっかり消えて、もはや息子は呼んでも届かぬところにいるとわかるまでそうしていた。それから片手が、あたふたと薪の方へ這っていった。自分と、ぱっくり口を開けて迫りくる永遠とのあいだに立つのは、いまやこの薪のみ。命は何束かの木切れで量られる。一束、一束と火にくべられ、そうやって一歩一歩死が近づいてくる。最後の一本がその熱を明け渡すとともに、無情な寒さが力を帯びはじめるだろう。まず足が降伏し、次は手。かじかみがじわじわ、足先手先から芯まで広がっていくだろう。頭が膝に倒れこみ、自分は眠りにつくだろう。簡単なこと。人はみないずれ死ぬ身だ。

コメント
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